人の形をした孤独とお金の不安
孤独のもとを知りたいという女性が【自分と再会するセッション88人無料チャレンジ】にきた。
本業の給料が安いので、バイトもしている。貯金がない。
将来のお金の不安と、助けてくれる人が誰もいないという孤独。助けてくれる人が誰もいないから、結婚できたらいいんだけれど。旦那がたすけてくれるから。でもそのあてもない。孤独のもとを見たいという。
孤独はどんな時に感じるか具体的に教えてというと、恋愛関係で連絡がつかないとき、去ってしまうのではないかと孤独になる。あとは子どもの頃に母との関係でなにかあったのかもしれない。
とにかく、話したがらない。具体的にといっても、こうでしかないと言う。
その孤独のとき、どんなことを感じていた?孤独は孤独だという答え。
不安をもう少し説明してというと、不安は不安だという。
好きなことはあるかというとわからない、という。なぜならやる時間がないから。
助けてもらえないと思うなら、助けたことはあるか、助けようと思うか聞いてみた。
自分の中に人を助けるという体験がなければ、人は人を助けるものなのだ、ということを信じられない。自分が助けたことがあったり、機会があれば助ける、と思っている人は、自分を助けてくれる人だっている、と信じられる。
でも、この話自体がなにをいっているか分からないという。
孤独をひもといてほしいといいながら、ひもとかれることを拒んでいる。
理解しようとして投げる言葉が心の扉の前ですべて届かず落ちていく。
たぶん、周りには手を差し出している人もいると想う。でもたぶん、それにたいして扉を閉ざしている。差し出した手に寂しさを感じる。
そして思った。お金にも同じ思いをさせているんだろうなと。頑なな孤独で。
扉を閉めているのは自分だ。自分の心を守るために一切の他者の介入を許さない。だから誰も心の部屋には入れない。温かく肩にふれてくれたり、心から心配してくれたり、ときに自分がしたり。そういう人間関係が結婚相手以外にもありうるという可能性を拒否している。結婚したからと言って、相手とそうなれるかはわからないのに。出会っていない結婚相手に幻想を抱く。
孤独という心の状態が人間として姿を現したかのようだと思った。
私も孤独にノックアウトされることがある。この瞬間だれも自分のことを思い出している人は一人もいないだろう、って思えてしまう時に。
結局その時の私の心は、こんな風に閉ざしているのだな。
扉を閉め、そして中では自分を孤独にしている社会や人生や天に対し怒りを爆発させる。自分が孤独に閉じこもっているのに。扉の鍵を閉めたのは自分なのに。
孤独から出るには、自分が扉を開けるしかない。ひょっとするとぼこぼこにされて傷だらけにされるかもしれない他者たちに対して。かわいそうな自分や情けない自分に向き合ってその姿をまじまじと見て、それを晒すしかない。なんてみっともない姿だろう。
あるいは孤独をうむ心の傷をもう一度なぞらないといけなくなるかもしれない。痛くて痛くて耐えられないから閉じた傷の蓋をこじあけてもう一度傷を引っ掻き回さないといけなくなるかもしれない。
それでも、あたたかな場所へ行くには、自分から扉を開けるしかない。扉を開けさえすれば、手を握ってくれるあたたかな存在があると信じるしかない。
きっと今日のその女性は、このセッションで期待したものが得られず、がっかりしたどころか怒っているかもしれない。
残念ながら、相手を部屋に入れずに部屋の掃除をしろと言っているようなものだ。そして誰もそれを実現してくれないから怒っている、失望している、絶望している。
怒りでもいいから、何か今日かわした言葉がドリルになって、いつか扉に穴があくといいね。
そして私はこの人の形をした孤独を見て、自分の扉は開いているだろうか、閉じているものは開けようと思えた。
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