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他人の目なんか気にせず、えこひいきしまくる

不特定多数の人の目が気になってしまう人というのは、人を選別することに罪悪感を感じている。不特定多数より、自分にとって大切なごく少数の人、そして誰より自分の目を気にすることができない。

それは、人を自分の好みで選別するなんてえこひいきであり、特別扱いであり、それはわがままで不遜なことだと思うから。なによりも、自分は選ばれないという前提があるので、選ばれない人の気持ちが分かるから、選ぶことに罪悪感を感じてしまう。

では、みんなとか世間というのはいったい誰の事なのかというと、実体がないぼんやりとした周りの人たちを意識しているだけ。

そんな実態のない誰かよりも、誰よりも大切で身近に実際に感じられる唯一の存在である自分を特別扱いするのは当然なのだけれど。

自分を縛る制限やルールに従うかどうかは、自分で決めていい。ていうか、自分しか決められない。周りから批判されるから従っている人だって、結局実体のない周りに嫌われないことを自分に嫌われないことより優先させると、自分で決めている。

自分で決めるというのは、相手の反応に期待しない、求めないということ。自分の反応にだけ基準をおくということ。

自分を選ぶ。自分だけを基準にする。

相手が親だろうと子だろうと関係ない。

自分が喜ぶかどうか。喜ばないことにはNOという。

自分の喜びの感覚だけを頼りにすればいい。なにに喜ぶかもわからない、実体のない「誰か」のために自分の喜びを犠牲にするなんて、命の無駄遣いだ。

そして「誰か」の中には、親とか理解のない上司とかも入る。なぜ自分の喜びを喜んでくれない人のために、自分を犠牲にしないといけないのか。

その人たちは自分で自分を喜ばせればいい。自分を空っぽにしてまで、その人たちの分まで満たしてあげる必要はない。





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