見出し画像

心を閉ざしたら書けなくなったけど、また立ち上がる

日記としてnoteを毎日更新しようと決意したはずだったのに、サボっていました。忘れていたわけでもなく、書けないほど体調を崩していたわけでもなく、ただサボりました。

言い訳がましく理由をくっつけてみると、急に書けなくなっていました。なんか偉そうですみません。お前の日記なんかだれも読まねえよ…と突っ込まれたらぐうの音もでません。だから一言でも一分でも書けばよかったのに。いいえ、書けなくなったのは、書かない理由を「書けない」と決めていたからなのかも。心を閉ざしてフタをしようとしていたのかも。フタできなかったんだけれど。

昨日、小学4年の次女と「やらないでおいて、それが心にちくちく引っかかることはさっさとやってしまおう。」というような話をしていて。偉そうにそんなことを言っておきながら、やってないのは自分だと思ったら息苦しくなりました(笑)。

毎日ランニングを習慣にしている人は、一日でもサボってしまうと翌日が大変だからそれを考えるとサボれないそうです。

いま二日ぶり?にこうして日記を書こうとしている私もちょっと似てるかもしれない感覚を覚えています。きっと書くことも、やめてしまったら、次に書こうとするときのハードルは高くなる。いまちょうどそんな感じ。「お前の日記なんか誰も読まねえよ」なのに。

毎日書こうとしておきながら、たかだか1か月半でもう何回も書かなかった日があるのは、自分の意志力弱さを世間にさらけ出していて恥ずかしいのですが、ここでやめたら成長はないし、恥ずかしいことが恥ずかしいままなので、重たい一歩をまた踏み出します。そんなこと言ってもたぶん誰も読んでいないしね(笑)。

ここのところ、読書のペースをあげて積ん読退治に励んでいるので、そんなこともまた書こう。子どもを観察したこともまた書こう。小さい子の成長記録はよく見かけるけれど、ギャングエイジと思春期に日々やっつけられている母たちの記録はあまり見かけないので、仲間を探しにでかけよう。そう立ち止まっている場合じゃないんだってば。書かなかった日は心がちくちくちくちくしていたんだからさ。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?