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研修エッセンスのおすそわけ Vol.1  「親と子どもの主体性が出会う子育て」 根ヶ山光一先生 (公益財団法人 前川財団主催)

公益財団法人 前川財団主催のセミナー「親と子どもの主体性が出会う子育て」に参加しました。以前から、根ヶ山先生の考え方に惹かれ、著作も読んできました。直接お話が聞ける、それもzoomで無料、聞かない手はないと思って参加しましたが、あっという間の1時間半でした。

先生のこれまでの研究の成果から、ヒト以外の類人猿とヒトとの子育ての違いをわかりやすく説明していただきました。その決定的な違いは、ヒトの子育ては集団による子育て、アロマザリング(母親以外による養育行動)です。それはヒトの進化と大いに関係するのですが、ヒト以外の類人猿に比べて、ヒトの子育ては母親の負担が大きいことが、要因となっています。

ヒトは2足歩行による手の発達(もっと言うと指の使用)等に伴う言語の発達によって、脳が大きく重くなり、生理的早産の状態で生まれることはよく知られていますが、だからそもそも、母親一人では育てるのがとても困難なのです。そのため、ヒトの赤ちゃんは仰向けのままいられるわけです。ものや他の人の助けを借りながら、離れつつ守る、これがヒトの子育ての基本だと、根ヶ山先生はおっしゃいます。つまりヒトの子育ては、根本的に求心性だけではなく遠心性があるというのが、先生の一貫した主張です。アタッチメントのような、くっつくことだけでは説明できないものが、ヒトの子育てにはあるのです。具体的には、母親の有限資源(母乳)をめぐる確執が母子にはあり、母親が離そうとするPush型の遠心性と、他のものに夢中になって子どもの方から離れていくPull型の遠心性の2つによって母子が離れることが、その子どもの自立、次の子どもの養育には欠かせないのだということでした。

先生のご著書に、このあたりのことはたくさん書かれているのでここまでにしますが、今回、面白いなと思ったのは、次の2点です。1点目は、日本の子育てとイギリスの子育ての違いから、日本は親の主体性というところももっと大事にした方がいいのではないかという点。もう1点は、ディスカッションのパートでお話しくださった辻本雅史先生の日本の歴史的な子育て文化の話に鑑みても、根ヶ山先生のアロマザリングの主張は納得できるという点です。

日本は親の主体性というところももっと大事にした方がいいのではないか、これだけ書いてしまうと、いろんな誤解を生みそうなので補足しますが、ここで言われていた親の主体性というのは、親主導で子どもの意見を無視してよい、ということではないです。そうではなくて、リアルな子どもは、大人が理想として描くような子ども像とは違っていて、それを抜きに綺麗事だけで子育てを語るのは危ない、ということなのです。添い寝文化などから日本の子育てはそもそも子どもを中心にして考えられていると根ヶ山先生はおっしゃいましたが、例えば戦後日本の教育家族像などを見ても、その傾向は顕著だと思います。この辺りの話が、辻本先生の話ともつながってきます。根ヶ山先生が研究している「守り姉」だけではなく、もともと日本には「拾い親」などといった「仮親」の文化があったのです。実はわたしも、実家のある長野県の諏訪地方で、「仮親」の話を聞いたことがありました。80歳をすぎた実の伯母には「仮親」がいました。そして、子守りや子ども組といった子ども集団への参入が、母子を離れさせる仕組みとしてあったのです。

お二人の先生のお話は、子ども主体の子育てをやめなさいというわけでも、親は子育てを放棄しなさいというわけでもなく、タイトル通り、まさに「親と子どもの主体性が出会う子育て」とはどういうものなのか、生物学的、歴史的研究を参照して考えていきましょうというものでした。

わたしの研究に引きつけると、保育はまさに現代のアロマザリングだと思いますし、わらべうたも、親や保育者といった大人から離れ、子ども社会に参入していく、もしくは形成していくためのものだと思っています。この辺りは根ヶ山先生のご著書を引用して博論にも書きましたし、保育士養成科目のテキストにも若干書きました。こうした観点で、保育やわらべうたの話を、これからもっとしていきたいなと思います。そのためにも、今回のお話はとても参考になるものでした。


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