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やさしくない私へ

朝ドラが日課だ。
関西の制作の朝ドラは劇団時代の共演者やお世話になった方が出演してたりするので感慨深い気持ちになったりする。
最近では「おちょやん」の岡安で女将の母役の宮田圭子さんはNHKのラジオドラマでご一緒させていただいたことがあったり、福富の主人役の岡嶋秀昭くんは京都ビエンナーレという催しの芝居で共演させていただいた。
二人とも20年前くらいの話。

今現在の「おかえり、モネ」は関東の朝ドラだが、次週から共演させていただいたことがある佃典彦さんが登場されると聞き、とても楽しみだ。彼は半沢直樹のドラマの曽根崎役で注目されて、ドラマは佃さんが出ているところだけ観た。すごい活躍だった。
共演したのは17年も前になるが、とても楽しく稽古させてもらった。私は東海メンバーの中、一番年下で一人で京都から参加していたので、色々助けていただいた。何より佃さんと稽古していると毎回新鮮で、私が仕掛けたことには必ず乗ってくれたのを覚えている。私は大先輩達と稽古するので気を張ってある意味テンパって臨んでいたのだけれど、そこを上手く調和してくださった。


…昔話はさておき、「おかえり、モネ」について。

終盤に差し掛かってきたので物語が毎度、目が離せなくなってきた。呟きに似た台詞などもあって、聞き逃したくないので音量大きめ。この一週間はハラハラする週だった。

ドラマや映画などは他の人がどう思ったか知らない方がいいと思っているので(夫とよく食い違う)掘り下げた感想などは人には言わざる聞かざるなのだけれど、ネットはそうはいかない。嫌でもニュースの見出しが目につくし、それをきっかけにTwitterまで見てしまった。

ここ暫くの感想を観ていると妹みーちゃんの批判が多くて悲しくなる。モネが主人公で、モネ視点で物語が進んでいくのだから、みーちゃんの映像以外の気持ちの揺れや、あのような行動になる過程の描写は少ないので仕方ないのかもしれないけれど、他人事とは思えない。姉妹の確執。きっとどこにでもある、長年の染み付き。説明し難いもの。

私は家族を顧みず、自分のやりたいように生きてきたので(演劇ばかりしていて親を振り回した)、姉である私はみーちゃんを見る度に、私は妹をどれだけ傷つけてきたのかを考える毎日だ。きっと言葉でも態度でも、そこから派生する妄想やその他諸々、沢山傷付けてきたかもしれない。

小さい頃からの父母どっちに似てるか問題、学校でのそれぞれの立ち位置、姉がやれば私もの平等問題。
今私は二人の息子と暮らしているが兄弟でも毎日些細な事でマウント取り合い、お互いの意識ハンパねえと側から見て辟易している。

しかしやはり過剰に意識しているのは弟(妹)なのだ。兄姉が無数の線から一本選んで進むのに対し、弟妹は兄姉の軌跡の太い一本の線を目にした上で自分の線を選ぶ。
我が家の弟が兄に対する意地悪なんざ、みーちゃんどころじゃない。でも彼は彼でストレス抱えて抑圧されてるのだ。叱るけど、嫉妬や意地悪という言葉では片付けられない。

みーちゃんはモネに狡いと言い、ワンピースを投げ、気持ちをぶつけて少なからず姉に甘えることができたのだと思っている。素直に全開でぶつかれなかった故、嫉妬だの意地悪だの挙句にはメンヘラだのコメントされていたけれど、みーちゃんは気持ちを封印しなくて良かった。菅波先生に当たったりしたけど(自称メンヘラの私からすればあの行為は衝動でどうにでもなっちまえ的なメンヘラ認定)、でも菅波先生は彼女の様子を見て想像できる人。今日の彼の台詞そのもので「あなたの痛みは僕にはわかりません。でもわかりたいと思っています」

モネに向けられた言葉だけど、全世界の人に言ってるような気がした。
みーちゃんが成長した一つの経験。きっとこれからも色々ある。これから生きていく世界が少しでもやさしいものでありますように。

菅波氏の名言をもう一度。大事な言葉は二度書きます。
「あなたの痛みは僕にはわかりません。でもわかりたいと思っています」
このドラマのやさしさはこの一言に尽きる。

そういう人に私はなりたい。雨にも負けず。