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「卯月に鳴く」あとがき

次男、10年目の盆が来る。

私には三人の息子がいる。
正確には二人の息子は生きていて、二番目の息子は人工死産をしたのだ。今年で10年が過ぎた。

人工死産、とは安定期に入ってからの中絶の事で、我が子の場合は無頭蓋症を初めとするいくつかの障害があり中絶に至った。陣痛促進剤を使ってお腹の中で亡くなった子を出産するのである。障害を発見後、精密な検査を行い、その後、出来るだけ早い処置日を決められる。中絶するかどうかの選択の余地はないに等しい。本人に任せるという建前はあるものの、出産まで胎児が生きれる可能性の低さ、母体の危険、万が一生まれるまで母体で生きる事が出来ても出産後は数日の短い命。ということから医師は強制できないが中絶を勧め、周りからの猛反対により皆、選択の余地なく中絶を選ぶのだという。

人工死産をした子は火葬することになり、骨が残らない場合もあるが、我が家の次男の骨は少しだが残っていたので夫の親族のお墓の中にある。

次男、というのも我が家だけの認識で戸籍には載らない。名前も私の中だけで生きている。家族内では当時の胎児ネームを使っている。

我が子を殺めたというまだ整理のつかない混沌とした感情と彼を失った代償の私の命。それが私を生かしている一番の理由である。

この子の話をするのは聞き手に気を遣わせるのでなかなか難しい。隠しておきたくないので話に出てしまう事があるが、相手に申し訳ない気持ちにもなる。
こちら側の気持ちとして、悲しいとか可哀想でしょとかそんな事はなく、寧ろその逆で、私は他二人の息子の話をするのと同じ感覚で話したいのだけど、罪を暴露して安心したいのか?と自問する事にもなり、複雑な感情を整理できずそのまま今に至っている。

彼を失ってからこの混沌をどうにか形にしたかった。
彼への手紙。彼に見せたかった風景。彼をイメージした音楽。イラストとか詩も書いてみた。
けれど何を考えてみても自己満足、言い訳ばかりが目について、こんなものじゃないと反吐が出そうになる。

同じような経験をした人の手記を読んだことがある。文章が長けていて、共感しかなく、涙が出た。悲しく辛く、希望を探る手記だった。

あの頃の事を細かく思い出す事自体が苦しい。余り覚えていない。夢を辿るような。いや、要所要所ははっきり記憶している。でも感情がない。出産や堕胎手術の数日すらリアルではなかった。自分が人体実験される仕事をさせられているようだった。その後の喪失感により真っ暗な毎日。三ヶ月くらいどうやって生きてきたのか。帯状疱疹になった事は覚えている。痛かったから。でも他の記憶が漠然としていてよくわからない。
そんなのだから私は書けない。書いても書いてもこれが私の真実だという文章にならない。断念した。

でも、でもね。
フィクションなら書ける気がしたのです。そこに私の記憶を探りつつ、フィクションの中にリアルを見つける。

10年が過ぎた。10年目の盆。
5年前に書き始めて読み直す度に何度も修正した。これではいけないと今年4月の命日にnoteに残そうと思って推敲中に寝てしまい、翌日に友人の訃報を知り又色々考えてしまって、外に出すのが怖くてまた放置した。
何が怖いのか。自分の事しか書いてないのに。ご都合よく書いている息子像や、自己満足でしかないのをよくわかっているからだ。


ただ
何事でも同じだけど、辛い思いをしている人はそれを感じさせないように振る舞う。みんなそうやって日常を頑張っている。
もし
誰かから人工死産を含め堕胎の話を聞いた時は、気の毒がったり励ましたりしないでただ話を聞いてあげて欲しい。亡くなった人を忘れないのと同じように、早く忘れた方がいいとか、無かった事にしないであげて欲しい。

無かった事にしたくない。なのでやっぱり残します。
誰かを傷つける事になれば削除するかもしれないけれど、私の手元から外に出す勇気を出します。