タローとジロー
ゆめちゃーん。頭気持ちよいかい?
あさのさんぽ。
んー。きれいな色だ。
曇りの時の方が花の色にハッとしたりするね。
砂利道の真ん中。地面すれすれに咲いてたタンポポがことの他黄色く光ってみえた。
今日はとにかく緑のティピ目指しての種まきをば。
一晩水に浸けたら水全部吸ってた。
だれか飲んだ?じゃないよね。
二列は色んな年代の朝顔の種。
一列はつるむらさき。
どこまでまいたか2回くらい分からなくなったので、ポット二つくらい種の量が倍かもしれないし、ゼロかもしれないや。
数日篠竹の根っこと格闘してひっくり返したコンクリートの細長い花壇は結局まだ植えるものが決まらないままひっくり返っている。
昨日予告していた子供の頃の実家の庭のお話。
昨日もチラリと紹介しましたが、何人か寝そべれそうな大きな岩を中心に置いてその周りに井戸をひいて池を作り、小川を作り、池には鯉。池のたもとにナツメヤシが実をつけて、池に落ちると鯉が大きな口を開けて飲み込んで、またそのままぽくりと吐き出したりしていた。
わたしはその池でよく泳いだ。
私の庭の仕事は鯉の餌と苔に水をあげること。
いつものように朝に鯉の餌を持って出ると、池の中に巨大な鯉が2匹いるではないか。ほとんど化け物を見たような気持ちで家に駆け戻り、今見たものを母に告げると、お父さんのお友達から送られたものだという。
大人になってから後で聞くと、父の仕事関係の出版社の社長さんが、溺愛していた2匹の錦鯉を、遺言で父に託すと書いていたらしい。
そんなことはつゆ知らず、私は二匹の鯉にタローとジローと名をつけた。
もちろん南極物語のタローとジローだ。
そして少しでもあったかくなると、毎日のように池でタローとジローと泳いだ。
まるでイルカかのように背中に跨ったり、鯉には大迷惑だった気もするが、とても懐いてくれていたような気がする。
面白いので泳ぎながら吸い付いてくるのが面白くて手をチュパチュパしてもらったりしていたが、鯉は口の力がすごくて10円玉を曲げれちゃうくらいなんだね。
タローとジローは一体来た時何才だったのか?
うちで暮らしたのは何年だったのか思い出せないが、私が高校生になって山形の寮生活をはじめてから、タローとジローは死んだ。
今思えば死んだ姿を知らなくて良かった。
ある時父は故郷の鹿児島よりヒモで縛ったダンボールを持って帰ってきた。
中には大きな薩摩鶏が二羽。
オスとメス。
ケンカ鶏というだけあってオスの気性がめちゃくちゃ荒い。天然記念物だが、やはり向こうのどちら様かにぜひどうぞと言われてそのまま持ってきた。
裏の竹藪に大きな鶏小屋ができるまでは、庭に放し飼い。
朝も早くからかなり大きな声でトキの声をあげる。
高い木の一番上くらいにとまっている。
私が庭に鯉の餌を持って出てくると、オスは私を追い出そうと追いかけてくる。足を突くので痛い。わたしはおっかなくて、オスがどこにいるか目でキョロキョロ探しながら、なんとか隙をみて池まで辿り着いて、餌をつかんで投げて逃げ帰る。猫もたまったもんじゃない。
同じように背中を低くしてキョロキョロしながら、いない隙にパーっと庭を横切る。が、オスも負けじと相手を見つけると果敢に戦いを挑む。
私たちはもう逃げる一方。
やっと小屋がたつと、庭にまた平和が戻った。
続きはまた明日^ ^
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