"死ぬのは今でなくてもよい。ならば、「命がけ」で何かしてからでも遅くない"
昨年行った恐山で、何度かすれ違った女の人が今でも印象に残っている。目が離せなくなるような思い詰めた顔をして俯き、早足で名所をくまなく回っていたのだ。
「恐山」という場所柄、死がすぐそばにあるように思う。死んでしまった人に会いたいと思う気持ち、自分自身が生きる意味を見出せなくなりそうな状況、あらゆる想いを抱えて恐山を目指す人が少なくないからだろう。
そんな恐山で院代を務める南直哉和尚の言葉は、死に対する重みと、死について考える人に向けて覚悟を決めた優しさが入っているように感