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起こった事象の捉え方

救急救命士を目指す娘は今年は受験生でして
4月に入ってから、毎日のように受験勉強に励んでおります。

そんな娘が昨日、脳出血の兆候について
私にいくつか問題を出してきました。

話をしていくと、9年前に脳出血で急死した
姉の話題になりました。

兆候はどうだったのか、寝てる間にだったのか
など事細かく聞かれて,その中で
右手の人差し指がボタンを押すような
形で硬直していた事に触れました。

その人差し指をどう捉えるか

スマホで助けを呼ぼうとしていたかもしれない
自然とそうなったのかもしれない
その手を見た時に色んな事が頭をよぎりました。

「あの時、ツムツムしてたんじゃない?って言ったのってどうして?」

娘が尋ねてきたので、こう答えました。

「誰が見てもあの右手の人差し指はSOSを出そうとしていたんじゃないか、痛みに苦しみながら最後の力を振り絞っていたのではないかと捉えてしまって、どうしてあの時気づいてあげられなかったんだろうとか悲嘆の感情がどんどん大きくなってしまうと思ったのよ。

少しでも場の空気を変えたかったのよ。
寝てる間にスッと…だったかもしれないし。

捉え方を視座を変えてもらうことで
残された家族、私も含めて
みんなが少しでも気持ちが楽になってもらえる
ならと思って、そう言ったんだと思う。

あの後、みんなそうかもねって笑って
くれたでしょ?」

頷きながら聞いていた娘は
なるほど! そういう事だったのかと言って
また、受験勉強のために自室へ行きました。

自分に起こったさまざまな事象は
今、それを体験する必要があった
と多くの先人たちは言われてきました。

とはいえ

渦中にいると、必ずと言っていいほど

どうして私がこんな事にならないといけないのか
神様はいつも辛い試練を与えてくるな

と受け入れがたく辛く悲しみの時間を過ごしてしまいます。

私もそのような感情の反応は出現してきます。
ですが、今はできるだけ抗わないで受け入れていくという事にしています。

そして、今の私ができることはなんだろうと
自分を律する ほんのちょっとでもシフトチェンジするようにしています。

最近では
呼吸法を学んで精神を安定させる
トレーニングもしています。

辛く悲しい出来事が起こった時には、
辛いなぁ 悲しいなぁ 苦しいなぁ
を十分に味わって
そういうものだと受け入れる。

抗っていると進めませんし、本来の自分じゃない
気がするからです。いや,わかっています本当は
どうしたら楽になるのか…。

ですので、姉の時は
少しでもみんなの笑顔を見たい
私ができることはちょっとしたユーモア要素を
入れた会話で和ませることだ
と思った故の行動だったのかなと

結果的にグリーフケアになってたのかもしれないなと思います。

物事は捉え方一つで辛くも楽しくもなります。
ならば、私は後者を選択しながら
今この時間を過ごしていきたいです。

皆さんはどうでしょうか?

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