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彼が旅立った日

体調のことなどから
随分と長く投稿をお休みしていました。

以前、23歳の軟部肉腫の患者さんの
倫理カンファレンスをした内容の投稿を
しましたが、先月その患者さんは家族に
見守られながら穏やかに旅立ちました。

彼が最後に受診してから半年以上が経とうとしていた頃でした。
主治医や私たち看護師が危惧していた状況で
救急搬送されてきました。

主訴は呼吸苦…
酸素を10L投与していても苦しくて
安静にできない状況だったそうです。

なんとかレントゲンを撮ることができたのですが
それは見たこともない画像でした。

腫瘍が左の肺を圧排し、心臓の位置が右に大きく追いやられ、気管支も圧排されてかろうじて右肺で換気している状況でした。
誰が見てもこの状態で生きていられるのが
奇跡に近い状態でした。

ただちに緊急入院となり、緩和の目的で
持続モルヒネが開始となりました。

付き添いの祖父は動転して近くにいる親戚に
連絡し、救急外来には叔父叔母をはじめ沢山の
親戚が面会に来たことで本人も命の時間が
短いことを悟り、涙を流す場面も見られたとのことでした。

翌日、主治医とともに彼の病室へ訪室しました。

彼は相変わらず、口数も少なく
思いを表出することがほとんどなく
病棟スタッフも対応が難しいと話していました。

彼は
ずっと仕事していた。
病院に来るギリギリまで元気で過ごせてた。
でも、今は苦しくて上を向いて寝れない。
子供には会えてない…

淡々と話していました。

ギリギリまでがんばってたんですね。
でももう、いよいよ頼らなきゃね…
と、体をさすりながら話をすると
笑みを浮かべて何度か頷いてくれました。
その目にはうっすら涙が滲んでいました。

二週間弱の入院でしたが
ある朝、別居している子供達への
仕送りを振り込みたいとナースコールを何度も
押してきたそうです。
看護師2人がかりでやっとの思いで
車椅子へ移乗させ院内のATMまで
ご案内したこともあったと聞きました。

自分がこんな状況であったとしても
父親としての責任を果たすことで
今の自分の在り方が成り立っている人
だったのかと、その思いに寄り添えてなかった
と反省しました。

亡くなる数日前には
音信不通になっていた両親との面会ができ、
最期は両親、祖父母、叔父叔母
従兄弟に見守られながら穏やかな時間を
過ごすことができたと聞きました。
本当はこれが彼が1番望んでいたのではないかと
思いました。

幼い頃の環境が彼の人格形成に大きな
影響を与えたことは否めず、
私たち医療者との関係構築も難しい状況を
作ってしまっていました。

彼が自分の思いを少しずつ表出し始めたのは
看護師のケア 手あての時間の中でした。
足浴やリンパマッサージをしながら
接することで、外来では頑なに拒んでいた
母への連絡を希望されたということでした。

医療現場のスタッフは
その人その人の人生の中で点や線程度でしか
関わることができません。

その人の生きざま(生き方)を見て
その人に合った医療を提供することが
大切で、時には私たち医療者の常識とは
離れたところに患者の思いがあることも
理解しなければならないと思いました。

そして、病棟看護師のように
ケア➡️手あての中で
少しずつ彼が思いを表出したように
寄り添い方もとても重要であると
再認識できました。

外来での介入の限界がある中
どうしたらもっと工夫ができるだろうか
探求する必要があると今後の課題も
見えたかかわりとなりました。

Sさん、どうぞ来世までゆっくり
お休みくださいね。

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