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生きるとは。生かされるとは。

5月2日、髙木あかねさんの講演会へ。

あかねさんは、ステージⅣの癌からのサバイバーで
昨年のBeautyJapan日本大会の総合グランプリを受賞された
『生きるを伝えるセラピスト』として活動されています。

この日は、あかねさんのお誕生日。

あかねさんと出逢ったのは
ヨガ講師のりささんからのご縁。
昨年の5月、伊勢神宮の正式参拝に参加したとき
同じテーブルでお昼をいただきました。
 (その時は緊張していてあまり話せなかった私…)

あかねさんは、7月のBeautyJapan中日本大会でグランプリを受賞。
その後癌が再発し、抗がん剤治療をしながらの日本大会出場で
総合グランプリを受賞されました。

私は11月はじめにちょうどバセドウ病がわかり
ほぼ寝たきりの状態だったので
会場には行けなかったのですが
あかねさんがグランプリを受賞されたことに
ものすごく勇気をいただきました。

想像を絶するほどの苦しい治療を乗り越えて、
今こうしてたくさんの人に
一日一日を大切に生きること
自分の命を生きることの素晴らしさを
伝えてくれているあかねさん。

もう、本当にすごい。←あぁ、語彙力のなさよ…
すごくすごく、尊敬しています。

「恩送り」

以前、BeautyJapanの1stインスペクションでも話してくださって
ご自身の経験から綴られる言葉の重みは
何度聴いても心に響いて涙が溢れるのですが、
今回特に心に残ったのは、質疑応答の中で仰った
「恩送りがしたいんです」
という言葉。

同じ経験をした人と繋がれることが。
「ひとりじゃない」と思えることが。
どれだけ心強いか。

私もそれを身をもって知ったから
過去の私と同じように今、1人で哀しみを抱えている人に
少しでも光が届きますように。
と思って始めた、co*co*niの活動。

そっか。

私がしたいのも「恩送り」だったんだな
と気づきました。

もう一つ、印象に残ったこと。

「ある」ことに目を向けると見えるもの


癌患者の氣持ちは癌患者にしかわからない。
でも
癌患者の家族の氣持ちはその家族にしかわからない。

経験したことがなければ
その痛みは計り知ることができません。

そのお話を聞いて思い出したのは
先日参加した自助グループや支援団体の交流会、
個別に天使ママとお話しした中で
似たようなことを感じたこと。

子どもを亡くした親の気持ちは
当事者じゃなければわからない

でも
担当した医師やスタッフの気持ちも
見守ることしかできない周りの人の気持ちも
その立場にならないとわからない

それを知ってはっとしました。

死別から7年、グリーフケアを学び、経験者として
当事者の方、医療関係者、支援者…
さまざまな立場の方とお話しする機会をいただき
改めてさまざまな方に支えられて
ここまで来れたんだな、
ということを感じています。

私は、自分が長男を亡くしてしばらくは
「自分の気持ちなんて誰もわからない」
と心を閉ざしていました。

それが、自分の心を守る術でした。

※こうした疎外感や他者、自己への怒りを強く感じたりすることは
グリーフの回復において誰しも持つ局面であり、当たり前のことではあります。

当時の私は、
喪ったのは息子の命だけではなく
母としての自分の役割
理想の家族としてのカタチ
幸せな未来…

「ない」ことばかりに向けていました。

でも本当は

夫がいて、両親がいる。
待っていてくれる友達がいる。
夜眠ったら朝が来て、空気が吸える。
母でなくても
理想の家族のカタチじゃなくても
「私」という人間が生きている

「ある」ことに目を向けるだけで
私は十分しあわせだった。

「ある」ことに目を向けたら
私はひとりで生きてるんじゃない
私は『生かされているな』
思えるようになりました。

だから、今は
日常のちょっとしたことでもありがたいと思えるし
次男が大きな病気や怪我もなく育ってくれている。
それだけでなんてありがたいんだろうと思えます。

子育てに関して、本当に悩みがないんです。
(心配は食べるのが好きすぎることくらい笑)

…とはいえ、日常に追われていると
やっぱりやんちゃな5歳児に振り回されてイラっとするし
片付かない部屋や仕事に愕然となることもあるし
あっという間に一日が過ぎちゃうこともあります。

だから
あかねさんのお話を聴くことができて

一日一日を大切に
瞬間瞬間を宝物に

しようと、改めて思うことができました。

自分は変わっていなくても
どう捉えるか次第で
しあわせにもふしあわせにもなる。

そう思えるのに少し時間はかかりましたが
たいせいを喪って生きていても仕方がない
死んだらたいせいに会えるかな
と思っていたあの頃の私に
「生きていてくれてありがとう」と伝えたいです。


自分の命を生きる

前の記事にも書きましたが
次男出産時は胎盤癒着で母体(私)が危ない状態だったこと
子宮破裂の恐れがあるために第三子は望めず
不妊治療で採卵した凍結受精卵を断腸の思いで廃棄したこと

サロンを始めた矢先の掌蹠膿疱症
そして、活動開始からのバセドウ病
薬の副採用…

と、次から次にこれでもかと試されている気がするけど
起こることすべて無駄なことはない。
今はそう思っています。

長男が私のところへ来てくれたことの意味はなんだったんだろう?

と死別後に考えていたことがあります。
そのときはわかリませんでした。

その答えがふと降りてきたのは
4ヶ月後、長男と一緒に行くはずだった
ハワイの最西端カエナポイントで夕日を眺めていた時。

言葉には言い表せないほど綺麗な夕陽を眺めていたら
涙がぽろぽろと出てきて

「自分の人生を生き切ってね。」

と長男に言われた気がしたのです。


自分の人生を生き切る。

私はそれまで
常に人との比較の中で、周囲の顔色や評価を気にして生きてきて
自分がどうしたいか?よりも
どう思われるのが正解か?に重きを置いて生きていました。

そんな私が
どう思われるかよりも
どうしたいか?を選んで
18年間勤めた上場企業を辞め

不妊治療や新生児死を経験したことを開示して
そしてそれを伝えるために
BeautyJapanに出ることを決めました。

それが、長男との約束(だと勝手に思っている笑)
自分の人生を生き切ること
に繋がると思ったから。

「生きる」と「生かされる」の違い

私にとって「生きる」とは…
それだけですごいこと。
そして
長男との約束を守ること。
自分の人生を生き切ること。

私にとって「生かされる」とは…
「ある」ことに目を向けたからわかった今この瞬間。

あかねさんと私の長男と次男が
BeautyJapanへ挑戦する力を与えてくれました。

あかねさん。
出会ってくれてありがとうございます。
お誕生日おめでとうございます。

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