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クラシック俳優ミニ図鑑|ジェーン・パウエル

ジェーン・パウエル(Jane Powell)
本名 Suzanne Lorraine Burce
生年月日 1929年4月1日
出身地 アメリカ合衆国

アメリカ合衆国オレゴン州ポーランドで、ジェーンは一人っ子として生まれた。2歳のときにダンスレッスンをスタートし、5歳になる頃には子供向けラジオ番組に出演を果たす。

歌のレッスンも受けていたジェーンは、12歳のときにオレゴン・ビクトリー・ガールに選ばれ、軍事キャンプや病院などで歌を披露しながら州内を巡回。ポーランドのラジオ局で歌い始め、お金を稼ぎ家族に貢献した。

1943年、ハリウッドのタレントショーで2オクターブ半の音域を披露して優勝したのちに、MGMと契約を結ぶ。

ジェーン自身は学生生活を送りたがっていたが、母親は許さなかったという。シャーリー・テンプルのようにスターになってほしいと望んでいたのだ。

MGM契約後、演技レッスンを受けることなくユナイテッド・アーティスツに貸し出されることになった。1944年公開の「ソング・オブ・ザ・オープン・ロード」で映画デビューを果たす。本作で演じた役名ジェーン・パウエルは、そのまま芸名となる。

1948年にエリザベス・テイラーと共演した「スイングの少女」では、美しい歌声で「It's A Most Unusual Day」を披露し、ジェーンの代表曲となった。

1951年には、フレッド・アステアが演じるトムの妹・エレン役として「恋愛準決勝戦」に出演。

製作当初、エレン役はジューン・アリソンが配役されていたが妊娠により降板。ジュディ・ガーランドが演じることになったが、精神不安定でまともにリハーサルを受けられる状態ではなく、MGMから契約解除されてしまう。

そして、ジュディの代わりとしてジェーンが選ばれた。

本作は、アステアのダンスばかり注目されてジェーンの影が薄くなりがちだが、こちらのコミカルなミュージカルシーンは必見だ。

可愛らしいジェーンのイメージとは違い、荒っぽい歌声とダンスが楽しい。


1954年公開の「掠奪された七人の花嫁」は、MGMミュージカル映画の代表作となった。本作は、アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されている。

「掠奪された七人の花嫁」

1950年代後半にMGMとの契約が満了し、活躍の場を映画から演劇やテレビへ転向する。

「レッド・スケルトン・ショー」(1962~1972年)や、テレビリメイク版「若草の頃」に出演し、「マイ・フェア・レディ」「回転木馬」「サウンド・オブ・ミュージック」などの舞台に立った。


MGM時代はミュージカル映画で活躍し、優しいソプラノの歌声で魅了した。輝くブロンドヘアに童顔なジェーンは、「隣の少女」というクリーンなイメージを保ち続けた。


2021年9月16日に92歳で亡くなった。エリザベス・テイラーやデビー・レイノルズに続き、MGMを支えたスターがまた一人いなくなってしまったが、近年まで生きてくれたことを嬉しく思う。

ジェーン・パウエルの代表作一覧

  • スイングの少女

  • トゥ・ウィークス・ウイズ・ラブ

  • 恋愛準決勝

  • スモール・タウン・ガール

  • 掠奪された七人の花嫁など


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