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クルールキングの迷宮

こんばんは、ヒラノと申します。ちょっとずつ春らしくなって参りましたね。僕は毎年のことこの時期に何となく鼻がむず痒くなるのですが、世間の皆さんが痒いという時には痒くなく、今日花粉飛んでいるよねという時には気配を感じ取ることが出来ずに到るので、総合的にはまだ花粉症ではないと判断していますが、しかしその歩みの音は確かに聞きつけています。あいつら、割と軽快なステップですよね。スタスタ。

さて、のんちゃんから「く」を頂きました。最近は音楽の話もチラチラと出始めてきたintonarumori (playing)ですが、僕はマイペースに行くよ。ということで音楽の話です。

一番初めの印象でいうと「そんなに大物か…?」と思っていたのがアーチー・マーシャル君ことキング・クルールでした。よく覚えているのが、当時のロッキングオンがかなりハッキリと破格の才能登場みたいなことを書いていて、そこから情報を得ていた僕はワクワクして『6 Feet Beneath The Moon』を聴いたのですが滅茶苦茶地味だった…というか、正確にはゴシックかつモノクロな世界観が徹底されているが故あまりにも色彩感が希薄で戸惑ったのでした。

とは言え彼は非常に強烈でして、というのは、ティーンとは思えない個性的な嗄れ声とまだ幼げな印象も残る外見との間にある決定的な「歪み」が理由でした。彼が名乗るキング・クルールとはドンキーコングからの引用でありまして、本家が”k. rool”に対して彼は”krule”。クルール自体の語源はフランス語の”couleur”から来ていると思われますが(ここに関してはまた後ほど触れます)、その引用にはヴェイパーウェーヴ的なゲーム / デジタル感覚が明確な世代感と、そこにリンクする少年性も確かに嗅ぎとれます。なのですが、彼の音楽からは著しい孤独から抜け出せない感覚、そして死の気配が聴こえてくる。しかもそれがニルヴァーナ的なダイナミクスなしで表現されていて、ある意味ではリアル過ぎる死の気配だったのです。年相応の音楽性や表現ではある気がしつつも扱うものがデリケートで繊細、しかも暗過ぎる…と、こんな具合に彼を為す要素はあらゆるものがギクシャクしていて、断ち切れているようで、しかし確実に強固に繋がっているのです。それらは美しくありながらグロテスクでもあって明らかに変なんだけど、そのおかしなバランス感覚から生まれた音楽には何故か掴みどころがない…というのが当時の彼の印象でした。

初めの印象がそんな感じでふわふわしていたものですから、時の流れと共に彼の印象はぼやけていきました。ところが。『6 Feet~』から4年後である2017年のこと、彼が新しいアルバムを出したと聞き、そこまで期待せず「まあ聴いてみるかなあ…」とかそんな感じで完全に舐め切った態度 + 軽薄さを以てして聴いてみたら、とんでもなく素晴らしかったんですよね。『The OOZ』というこの作品については僕と同じような反応した友達がとても多く、みんながみんな、どことなく、期待しないようで期待していたのだなあと感じたりもしました。

世界観自体は相変わらず徹底的にダークだったんですが、『The OOZ』ではちょっとだけ孤独感を世界と共有するような感覚が芽生えたように思えました。それは本人がティーンから20代前半へとなったこと、そして彼の表現がバンドをベースに形成されるようになったことが大きいと思います。キング・クルールの音楽的な特徴は大味で言えばSSW + ポストパンクとなりそうですが、これまでの表現が”ポストパンク風味のSSW”だったとしたら『The OOZ』はそれが逆転して”SSWベースのポストパンク”へと変化したのでした。実際、ライブの映像を見ると演奏がかなり強固に仕上がっていて、彼自身のグルーヴが他の人へも憑依しているような、そんな印象を強く受けます。と言う訳で映像をどうぞ。

作品よりも実際の演奏の方が肉体的で熱量も高いです。こういうちょっとしたギャップも魅力ですね。映像をいくつか見比べているとたちまち気付くのは歌い方自体にもいくつかバリエーションがあって…というよりも、その時の心理的な状態に依存しているので、要は気紛れ猫ちゃんばりに自由に振る舞いながら演奏しているので、兎にも角にも同じことの再現にはあんまり興味がないことがよく分かります。この無軌道ぶりへの忠誠心は如何にもパンクスっぽいですが、こういう姿勢の人が僕は大好きです。

続く『Man Alive!』も傑作でして、作品自体は『The OOZ』の延長線上にあるけれどかなり熱が下がった印象。しかしこれもバンドを軸に据えて考えられているのだ…と思うとちょっと鳥肌が立ちます。この音楽を「バンドでやること」を想定して作っているってなんだよ。っていう。しかしこの作品から立ち戻って改めて『6 Feet~』を聴くと、ああ確かに繋がっているし未来を予兆するような作品だったんだなあと改めて感じます。『6 Feet~』で出来なかったことを今の力でやろうとしているみたいなんですよね。

彼の作品にはもれなく息苦しさと生きにくさが封じ込められていて、それがいつも常に生々しく蠢いていているのですが、実は多様な表情を持っていることが段々と分かってきました。時間の経過と共に評価が切り替わっていくことはよくあること、しかしキング・クルールの作品は特にその印象が強いし、恐らくこれからも作品を出す度にこの印象を抱き、時に疑問に思い、こちらの認識を刷新していくのだろうなあとも思います。こういう具合に一緒に歳を取っていける音楽との関係性ってとても素敵じゃないか。ウードン・イット・ビー・ナアイス…

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さてもう1ラウンド。そんな流れを汲みながら、ここでは無理くり「ただ名前が似ているから」という理由だけでキング・クリムゾンとキング・クルールを比較・接着させてみたい訳ですが、もちろんそれにも意味があって、視点こそ違えど両者を結びつける音楽性自体には共通するものが多いからです。ロック + ジャズをベースにして、キング・クルールの場合はそこにパンクロックとヒップホップが足され、キング・クリムゾンはそこにクラシックの構成美を足している感じでしょうか。ふたつの大きな要素の掛け合わせと配合の差、さらにそこにその他の音楽性を振りかけることによってキングがそれぞれに成り立つという。しかも全然違うキングとして。面白くないですか。

その例として…いつ見ても全然気持ち良くないジャケットでお馴染み『クリムゾンキングの宮殿』のような技術的様式美を誇るプログレッシヴロックの首領=キング・クリムゾンですが、彼らにはその技術を違う視点から使ってみた80sのニューウェーヴ期がございます。『Descipline』から始まる3作の作品は明らかにパンク以降のサウンドであり、同時にミニマル。これらの作品には共通してエイドリアン・ブリューというギタリストが参加してますが、彼はキング・クリムゾンで演奏しつつ、一方ではトーキング・ヘッズでも変態的なギターを演奏していた人。彼が断絶しているように思えるふたつの世界観を繋いでいたのですなあ。でも確かにニューウェーヴ期のクリムゾンにはアフリカンな要素が足されていて、そうすると途端に『Remain In Light』の兄弟みたいになっちゃうから面白いね。クラシックロックの猛者がパンクロックに接続されるという。パンク側からはすんごい毛嫌いされていたのに。弟からすごく嫌われている兄が、そこまで悪気もなく弟のゼリーを勝手に食べちゃうみたいなことだよね。ちなみにアフリカンな要素をクリムゾンとトーキング・ヘッズに持ち込んだのはブライアン・イーノでもあるはず。やや複雑な相関図が…

で、そんな話は割とどうでも良く。それよりも僕が言いたかったことは、その似ている名前について。なんか似ているよなあ…とずっと思っていたのですが、ここに来てひとつの妄想が生まれました。「クルール = couleur = 色」ということですので、ドンキーコングからの単なる引用だけでなく実は「crimson (深紅色) → couleur (色)」という文脈にも接続、つまり「crimson流れのcouleur」と「king k.rool」がユニークに衝突して「king krule」に…というルートも考えられませんか。ダブルミーニング。ちょっと捻くれている文学青年子とアーチー・マーシャル君においては全然起こり得そうな…パンクロックがプログレの大御所と名前似ているぜ…しめしめ…みたいなね。ありそう。

ここまでの話が僕による誇大な妄想にせよ、キング・クルールにもキング・クリムゾンにも迷宮的な感覚が共通していることはなかなか否定できないはず。そこに迷い込んだ者にとって奇妙なものにもぞっとするものにもなり得るのが迷宮でございます。ちなみに僕のアンテナでは『クリムゾンキングの宮殿』は奇妙に聴こえますが、キング・クルールの『Man Alive!』はぞっとするものとして聴こえます。さて、あなたにはどう聴こえていますか…というこれ、なかなか面白いから話のネタとしておすすめです。

ジャケット、良いよね…

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さて、最後に。キング・クルールと迷宮の話を今回書こうと思ったのは、最近ずっと考えてきたことを違う形でも伝えたかったからです。こうしてようやく皆様にも言えるので一安心でございます。

5月7日、STYLO #3を開催します。dysfreesia + mihauとしてはなんと驚き3年ぶりのライブ!僕たちが企画しているイベントシリーズであるSTYLOには毎回テーマがあるのですが、当然今回にもございます。ちなみに前回のテーマは「冷たさと熱 / 肉体的なものと機械的なもの」でした。

詳細を伝えたくてうずうずしていますが、とりあえず予定は空けておいてあなた様もうずうずしていてください。これでイーブン、フェアな試合です。それまではこの不思議な写真を眺めていて、今回のテーマが何であるか考えてみてね。これもまた一種の迷宮だ。どうぞたくさん遊びにいらしてください。お会いできること、楽しみにしております!

次は「う」です!それではまた!

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