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【みんな誰とつながりたい。アディクションの対義語はコネクションなのだ】丁稚カウンセラー ミハルのささやかな考察

カウンセラー見習い、丁稚(でっち)のミハルです。

アディクション=依存症、コネクション=つながり。について、
今日は、かぜの帽子さんの記事から、考えたことを書きます。

かぜの帽子さんは、若いころ、お母様と二人暮らしをされていたそうです。
その時代、フリーターであることがつらく、焦燥感にかられていた。昼夜逆転の生活をしつつ、ネットに依存していたとか。

孤独で、孤独でさびしくて、その痛みから逃れるために、ネット依存であった、と書いておられます。

……わかる、気がする。
依存症の根本には、
『いま、目の前にある痛みから、いっしゅんでもいいから逃げ出したい』という切羽詰まった理由があります。

この切羽詰まり度が、どれくらいか、というと。
壁にずっと、頭を打ちつけているのと同じなんです。
依存行動、依存物質を摂取している間だけは、頭をぶつけずに、とめておける。

たとえば、アルコール依存症は、飲んでいないときはずーっと
じぶんで、壁に頭をぶつけ続けているみたいなもの。
お酒が入っているあいだだけは、ぶつける行為を止められるんです。

その快楽たるや。
安心と安楽と、多幸感にあふれます。
だから人はアルコールに、ニコチンに、薬に、恋愛に、セックスに、依存するんです。

ですが、その多幸感は長く続きません。依存した物の効果が薄れてくるからです。
だから人は、過激に走る。
酒量・煙草が増え、薬は止められず、恋愛は執着に変わる。


そこから抜け出すには、青天の霹靂が必要です。
それも、自分が起こす『霹靂』が必要なんです。


これは、依存である。と自分で認めることが、すべての始まりになります。
自分は酒、たばこ、薬、恋愛、セックスがほしくて、やっているわけじゃない。
やっている間だけ自虐行動をとめられる、と思い込んでいるから、
やっていると認めることが大事です。


逆に言えば、
根本にある『痛み』をとりのぞけば、依存しなくてもよくなります。
依存物質と、距離を取れるようになれるんです。

そして、ひとの『痛み』を取りのぞくのは、『コネクト』。人とのつながり。
孤独ではないと感じること。
ひとりではない、と感じることです。


人生には、ひとりで戦うしかない、と思う場面があります。
孤立無援、どこからも助けは来ない。
ただ自分だけで戦うしかない。

一人で戦わなきゃいけない、とおもうと、絶望しかないですね。
絶望は、怒りです。
この場合、怒りは自分自身へ向いています。どこへもいかず、ただ自分を攻撃しつづけます。
壁に、あたまをぶつけ続けることになります。


コネクト、つながりがあれば、絶望が薄れる。
ほんのすこしですが、ラクになるんです。


カウンセラーは、つながりを生む仕事です。
何を打ち明けてもいい、どんな自分をさらしても攻撃してこないひとです。
コネクトを生む仕事なのです。

カウンセリングを受けると、ほんの少しですが、きもちが楽になります。
気持ちがラクになったぶんだけ、体にスキマができて、体もラクになります。
カウンセリングとは、あなたのしんどさに、小さな穴をあけることなのです。


丁稚カウンセラー、ミハルは、
地の果てまで、徹底的に
あなたの味方をします。

そういうカウンセラーです。


あすは、丁稚ミハルがうけたカウンセリングについて書きます。
課題もまだ、終わっていませんので(笑)
さらっと、書きますね( ´艸`)

かぜの帽子さん、記事をお借りしました。ありがとうございます♡

丁稚カウンセラー、ミハルです。駆け出し時代は、いつだって大変。 だけどいっしょにいれば、がんばれます。 ミハルのカウンセリング、うけてみませんか?