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#30 会いに行ったかのように

大みそかに実家の金沢に帰った。
とにかく年末は混むので、それを避けようとぎりぎりまで待った。
新横浜のみやげ物屋の周りはとぐろを巻いた列が並んでいた。
しかし、電子決済が普及しているのと店員の手際の良さが格別で、ストレスなく列は進んでいた。
新幹線の中は、昔のように指定席の間にも人が立っているということはなかった。
金沢に着くと、夕方だったが、今日は飲食店は早く締まるし、正月も店空いても二日以降ということで、スーパーで刺身やら寿司を買い込んで妹の知り合いと談笑。翌日もその残りでという魚祭りであった。

そして、ベッドの上でくつろいでいたところをいきなりそれはやってきた。
まるで洗濯機の脱水にかけられた下着のように、なすすべもなく壁にはりついた。多少落ち着いて、外に出ると妹がお隣さんに声をかけていた。
外に出ると、車は左右にダンスしていたようである。
妹のダンナはPCでシューティングゲームに興じていて、ちょうど爆発シーンで被災したようで
何のエフェクト?と思ったようである。
仮想現実に没入すると、現実との境目がわからなくなるので注意されたし。

東日本大震災のときは、自分は横浜にいたがそのときの揺れは同等だったと思う。
能登半島地震の震源近くの志賀町は震度7だったというから驚きである。
その後、けたたましい携帯電話のサイレンが何度かなってなるたびに、とりあえず家の外にでた。
金沢は一部地域を除いて無事である。
その後、小さい揺れは何度かやってきたが、そのたびに能登は震度3-5で揺れていた。きっと寝るのもままならないだろうなと思った。

4日に夜横浜に戻った。
自分の日常が始まった。

8日J-WAVEの特別番組でいとうせいこう氏が、東北の人たちと被災について語り合って、被災者に必要な
ものは何か語りあうところだったと言っていた。
そこで、いとうせいこう氏が言っていたのは今気になっているのはガザと能登半島
いとうせいこう氏は国境なき医師団に興味を持っていて、
被災地の避難所にはプライベートがないと言っていた。あまり気にしなかったが、体育館の大空間にプライぺートな仕切りがないのは日本くらいだそう。他は国連などはまずテントを用意するという。
日本人の特質なのか、今それどころじゃないからとかひどい目にあっている人もいるからほかにもっと遠慮して声をあげないというのは、よくない。もっと声をあげたらいいと言ってました。
それからガザについては、他の地域の人が被災していることについて気にしているということが分かっただけでも心強く感じるという。
ウクライナもガザも能登半島も忘れられることのないよう、気にしていきたいと思う。そして、何か機会を作って発信していきたい。

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