子供を産むということ

今日書こうとしていることはとても不快に感じられる方もいるかもしれません。倫理についての問題なので、読んでくださる方は、ひとつの私の意見として読んでくだされば、と思います。受け止めてほしいとも思いませんし、私と違う意見の方も多くいらっしゃると思います。

久しぶりに会った友人が妊娠をしたそうです。
彼女は子供がすごく欲しかったわけでもなく、子供好きというわけでもありません。
結婚して旦那さんとの話し合いの中で子供を作ろうという結果に達しましたが、あまり相性が良くなく、不妊治療をしていました。
私も結婚していた時、不妊治療をしていましたが、子供を積極的にほしいと思っていない人間にとって、不妊治療はとても辛いものです。
私は元旦那さんと義両親が、どうしても子供・孫がほしいと。私は仕事を頑張りたかった時期だったので、いつかは、と思っていましたが、彼らのタイミングはいますぐでした。私の意見がどうにも聞き入れられず、だんだんと心の距離が空いて(他にも理由は色々ありましたが)離婚する結果になってしまいました。
と、私の話は置いておいて。
彼女の不妊治療もとても大変そうでした。
身体のホルモンバランスに手を加えるんですから、楽でいられるわけがないですよね。
その不妊治療を乗り越えて、妊娠することができた。
でも今日の彼女は決して幸せそうではありませんでした。
出生前診断を来週に控えていて、緊張もしていたと思いますが、いつもの彼女ではありませんでした。

今日の本題はここから。
出生前診断です。

するかしないか。
大きな倫理観の問題だと思います。
私は、します。彼女も、します。

障害を持った子供が生まれた時、母親としてその子を一生守っていかないといけない。
子供を残して自分が死ぬことはできないから。
そしてそのためには、もちろんお金も必要です。
この福祉制度も医療制度も後手後手で、融通の効かない社会の中で、自分が産んだ子を守っていかないといけないから。
それができるのかどうか。
私たちは高齢出産になる。ということは守れる時間が短いかもしれない。
子供を残して死んでしまう確率が上がるから。
出生前診断のタイミングで最後にもう一度、産む覚悟があるのかどうか、自分に問わないといけないと思うんです。

これは私と彼女の考え方であって
正解でも不正解でもないと思っています。

命を軽く考えているわけでもありません。

1人の社会人として、子供を産むなら、その子をこの社会で生きていける子に育てないといけないから。
その責任を感じているんです。出生前診断をしないから、責任を感じていないなんてことも思っていません。

私にとって世の中の多くの女性は偉業を成し遂げてきた方達です。
私にはできないことを立派にされていると思います。

私と彼女は近しい考えを持っているので
そのことについてお互いの言っていることを受け止められますが
意見の違う方も、私たちの考え方が間違っていると思う方もたくさんいらっしゃると思います。

1人の意見として、私の心に留めておきたいことだったので記事にしました。

どうか1人でも多くの人が
幸せな夜を迎えられますように

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