良い悪いと簡単に言う人は信用できない。

「いじめられる方が悪い」
「だから都合のいい女になるのよ」
「甘やかすあなたが悪い」
「あなたにも責任がある」
「あなたが悪い」
これまでの人生で、いったいどれくらい聞かされ続けた台詞だろう。その多くは友人や家族や同志であるはずの同僚だった。

今なら、何を根拠にそんな無責任な台詞を吐いてるのかと、相手をロジハラして追い込んでやるところだが、昔は、わたしにも、そんな周りの心無い台詞を素直に受け止めていた時期があった。近しい人たちが自分を思って言ってくれている有り難いアドバイスだから受け止めなければと。うまく立ち回れない自分が悪いと、自らを責めて泣いて息も出来ないくらい追い込まれていた時期が。

馬鹿らしいが20年くらいそんな考えに囚われていて、だけど、あるとき考え過ぎて思考が一周したのか、本当に、ふとある考えが浮かんだ。「いや待ておかしいだろ」と。

いじめられる側の責任て何だ。気にくわない理由があるならいじめて良いとか無秩序過ぎるでしょ。集団でいじめ行動に走る前に、教養ある人間らしく、正々堂々気になった点について誠実に指摘しようよ。

だから都合の良い女扱いされるのよって何だ。優しい女がいたら何しても良いのか。反道徳的すぎるでしょ。相手の男の神経を疑うよ。親切にされたら真心で返せって親に習わなかったのだろうか。そのクズ理論は、男尊女卑に根付いてるとしか思えない。ほんと教養が足りない。

そもそも、私を思い遣るはずの人たちが何故わたしを傷つけ、否定するのか。建設的なアドバイスではなく批判に終始するのか、それは本当に友人と呼べるのだろうか?等々の思いが頭を駆け巡り一気に目が覚めた。

今思い返しても、当時の自分を、周りの意見に耳を傾ける素直な良い子だったと誇らしく思うのはさておき。良い悪いなんて、結局のところ事実でも何でもない。人によって主張の異なる主観でしかない。一方の立場から見た正義で思い込みで、言ったもん勝ちの偏った意見でしかなくて、しかも正解ですらない。正確に言えば、そもそも、この世に良いも悪いも存在しないのだから、良い悪いは正解にはなり得ない。

この世にあるのは、例えば、雨が降ったけど傘を持ってなかったから濡れたみたいな原因と結果(事象)だけ。無責任な人間たちは、雨が振るのが悪い、いや傘を持ってないお前が悪いなどと、好き勝手に意見を言って大げさに騒ぎたてるけど、良い悪いなんてまやかしで、自分を偉そうに見せたい人や、誰かを傷つけたい人が使う呪いの言葉だ。

良い悪いじゃなくて、雨は嫌いと、あくまで主観であることが相手に伝わりやすい好き嫌いで表現すればいいのにと思うが、雨が降るのが悪い、あなたが悪いと、彼らはあたかも正論のように押し付けてくる。

良い悪いを判定できるほど、彼らは経験や人徳や知識を持っているのだろうか。いや、経験があって人徳があって思慮深い人は、そもそも簡単に良い悪いを判断したりしない。状況は見る側で変化することを知っているし、人それぞれ背負うものがあることも理解しているし、新たな発見は、決めつけない心がもたらすということに気付いているから。

だからこそ、「良い悪い」を簡単に使う人の言葉を真に受ける必要は全くないという事を知ってほしい。そして、あなたが平穏に過ごせるよう心から願います。

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