コロナ禍は本当の友人について見直すきっかけになった

そもそも私は友人が多いほうではない。大人数で賑やかに過ごすのも好きだし初対面での会話も楽しめるが、友人となると話は別で。そんな数少ない友人の中でも、コロナ禍になって自然と疎遠になった友人がいる。

彼女は昔から華やかで美人でスタイルも抜群だ。少々奔放な性格も相まってその場に居るだけで周りを賑やかにする存在。わたしは、そんな彼女と友人でいられることが誇らしかったし、なにより彼女の奔放な性格をとても好ましく思っていて、型に囚われない自由な会話をいつも楽しんでいた。

会社の同僚からはじまった彼女との友人関係はお互い転職しても十年ほど続いていたが、それまで対等だった関係が変わり始めたのは、わたしがネイリストの資格を取得した数年前だと思う。会うたび、ネイルをして欲しいとせがまれるようになった。予備知識だが、ネイルは安くても3000円以上必要で、施術時間は約2時間ほど掛かる。もちろん友人から対価を頂いたことはない。わたしからすれば、友人と会うついでに拙いネイルを施術してあげたくらいに考えていたからだ。

緊急宣言が敷かれたころ、普段どおり彼女からネイルをして欲しいと頼まれた。時期が時期なだけに遠慮したが、それ以来彼女とは5か月会っていない。意図的ではないがLINEでやり取りすることもなくすっかり疎遠になってしまった。断っておくが、ネイルを無料施術する以外は、彼女は私に対して常に丁寧な態度で気も使ってくれており、悪意があるわけではない。ただヒトの中には、友人と会うことが目的のついでのなる人もいるというだけのこと。

最近、久しぶりに彼女からLINEが届いた。やはりネイルのお願いだ。コロナ禍をあまり気にしない彼女らしい。わたしと会いたい訳ではなくネイルが目的だと思うとその気になれず、わたしは届いたLINEを放置し、彼女を友人の枠から外そうと心に決めた。もちろん彼女だけに非があるとはいえない。

ただ、突然訪れたコロナ禍は、仕事や職場の人間関係や通勤で忙殺され、深く考えず慣例的に日々を過ごすことで、どれだけ無意味で無駄な時間が存在していたかを気付かせてくれた。加えてそれまでの日常が突然一変することもあり得るほど不確実な時代なのだと痛感した。そして、この不確実な時代を何とか生き抜きぬいて安定した収入と暮らしを続けるためには、自分の専門性を高め、自分の価値を高めて未来に備える必要があると改めるきっかになったと思う。

実際、この数か月、将来について今何を準備すべきかじっくり考えられたし、煩わしい人間関係が無くなり集中できるようになったので仕事の質を追求できるようになった。環境を整え未来に投資する時間も生まれた。また、人脈という資産を改めて考えるにあたり、自分自身と向き合う時間を持てた。彼女と会わないという判断をいつか寂しく感じるかもしれないが、その時はその時考えればいいと思う。やるべき事がはっきりしている今、貴重な自分の時間を有効に使うつもりだ。



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