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「新年 日本を思う」 3

日本の識字率は世界一。障害などは除き、100%に近い。
つまり裏を返せば読み書きさえできない国民がいる、これが世界の常識という事だ。
先進国でさえもそうなら、後進国、発展途上国はとんでもないことになっている。
アメリカの約20%は読み書きと簡単な計算の習得ができていないという調査報告もある。
最近、国際学力調査というものがあったが、3科目全て1位をとった所がある。どこか分かるだろうか。
これは知っていなければ、絶対に当たらない。
とはいえ、だいたいあれだろう、と考えてみてほしい。
数学がめちゃくちゃ得意なフランスかしら。
制度が充実しているらしいシンガポールがまさか。
やはりなんだかんだでアメリカか、ふん。
では、答えを言う。
一位をとった国はなかった。
中国の4つの省のグループが1つの国のような顔をして、1位を席巻しただけだ。
日本だって、学力トップ4の県だけでエントリーしたい。腑に落ちない。
中国全土ではお話にならないので、どこにどう金が流れたか、国別であるのに4つの省のみ試験を受けるというおかしなことが通ってしまった。つまりは辺鄙な省では学力がかなり低く、識字能力さえ怪しいのではと睨む。
識字能力があれば、そこから抜け出す事が可能だ。必要な技能、資格を得るために、テキストを手に入れ独学する事が出来る。
ここに、簡単な計算、足し算引き算、掛け算割り算などが習得できているかも関わってくる。
私たち日本人は、何か資格を取ろうとした際、識字能力、簡単な計算能力があるのを前提に考える。ある、と言うことさえ頭にない。当たり前すぎて、能力として捉えていない。
では簿記をテキストで独学しようと決めたとする。
さあ、何が必要か。
良いテキストと打ちやすい計算機、と答えるのなら恵まれている証拠だ。

識字、それができなかったら、どうなるか。物乞いは物乞いのまま、ゴミ漁りはゴミ漁りのまま。裏稼業もそのまま。職業選択などできない。蹂躙されたまま生涯を終える。本人の努力の如何ではない、努力しようにも基礎能力が無ければどうにもならない。
成人になってからの識字能力習得はかなり困難と聞く。かなりの低賃金の職しか選べないのに、その学費を出す事などできない。

義務教育の義務はなぜか。
分かっているだろうか。
子供を働き手や子守として、学校に通わせない、そういう家庭があるから義務にした。教育を受けていない親はその重要性が分からず、うちは農家だからそんなものは必要ないと判断してしまう。働き手を失うのも苦しい。
しかし義務にする事で、それをかなりの割合で防ぐ事ができる。
日本にスラム街は無い。
あいりんといった地域はあるが、あれは定住していない日雇い労働の成人が集まっているにすぎない。その上、崩壊しているとの話を聞く。海外からすればたいして危険な地域ではないので、海外旅行者が格安なのを理由に宿泊場所に使うようになり、経営者もターゲットをそこに絞り始めWi-Fiさえ使える宿泊施設もある。
スラム街で生まれ育った、そんな日本人ははたしているのか。
今当然のように享受できている事、そこに有り難みを感じて過ごすのを強くお勧めする。
きれいごとを言っているのではない。
それが終わりを告げる可能性があるからだ。