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自死・自殺に、思う

自死や自殺が報道されると、いつも悲しい気持ちになります。
報道されない自死・自殺者のほうが遥かに多いことが、より一層悲しくさせています。

私は仏教徒ですので、「報道されない方々」のほうを考えるクセがついています。

それが仏教特有の廻向えこうを向ける先だからです。


仏教の行者は、心理カウンセラーでもヒーラーでもありません。
そういう特性をお持ちで兼任する行者もおられるのでしょうが、しかし私にはできません。

三界衆生は皆、無明という心の病にかかっている患者であって、各々に適した薬を処方するのが「薬師」つまり仏陀の役割というのが、仏教の根本にはあります。

その役割を継承されてきた、東西の仏教の歴代の師たちは、常に釈尊の教法に立ち返りながら、その時代と地域に応じた「処方」をされてきました。

八万四千ある仏陀の法門から、その人に適した薬を「処方」してくれる仏教のをみつける重要性が、そこにあります。

加えて、仏菩薩の加持がなによりの薬となることも、私は何度も経験しています。


チベットの師匠は:

「自死・自殺は、本人の今世だけのごうではない、過去世からずっと続く深刻な業が作用している」

というアドバイスを私にされたことがあります。

遺された人たちは皆「あの時、自分がこうしていればよかった」と深く傷つきます。

反対に「自死・自殺に追い込んだのはあいつのせいだ」と責任を他人に向けることもあります。

そのどちらの思考も正しくはないよと、師匠は私におっしゃっていたんだと思います。


自死・自殺に限らず、私たちはどんなごうが潜んでいて、いつ・どんなきっかけでどんな顕現をするのか、検討もつきません。

私たちには想像つかないほど多くの悪業が潜んでいる、と見るべきです。

生きている間から日々陰徳を積んで、滅罪・罪業浄化が必要なのは、そのためでしょう。

自死・自殺で業が消滅するわけはなく、むしろさらに業は深くなり、複雑になります。そこで仏教は、自死・自殺を認めないのです。


そうではあっても私は、自死・自殺されたすべての方の罪業が少しでも軽くなり、苦しみから解放され、少しでも安らかな世界に赴けるよう、祈念することができます。仏・菩薩の加持によって、速やかに達成されますように。
憂いによって苦しむ人は、心に喜びの安楽が伴いますように。

「どんな世界に赴いても、必ずそこから救い出す」と、八大菩薩をはじめとする菩薩たちも約束されています。他者も救われるし、自分も救われる。その加持の力を信じ切ることが、まず仏教徒ではないでしょうか。

テンパ・ナムキー・ノルトプ・ショク
(強盗など過去業の果で)貧しい者たちは、財産を得ますように

ニャゲン・ニャムタク・ガトプ・ショク
(心の)憂いに苦しむ者たちは、歓喜を得ますように

イチェー・ナムキャン・イースー・シン
(努力しても結果が出ず)気落ちする者たちも、心が回復し

テンパ・プンスム・ツォクパル・ショク
確信(必ずできるという勇気)で満たされますように

シャーンティデーヴァ(寂天)『入菩薩行論』


十一面観音。曹洞宗大本山總持寺にて。


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