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スッタニパータに見える、布薩

今年もサカダワ月がやってまいりました。

サカダワ月については、過去記事をご覧ください。

前回は布薩について述べましたが、あらゆる仏典の中で最古とされる『スッタニパータ』に布薩(ウポーサタ)が登場することを指摘しました。

『スッタニパータ』では、布薩について多く言及しています。仏教教団が成立する遥か前から、布薩はインド社会に慣習としてあって、社会的にも重視されていたことを物語っています。

今回はその『スッタニパータ』の中から、「第2章 14.ダンミカ」の部分を掲載します。

これはサカダワ月を過ごすのにふさわしい内容だと思います。

以下、引用部分はすべて仏陀(釈尊)のお言葉です。

三九三
「次に在家ざいけものの行うつとめを汝らに語ろう。このように実行する人は善い<教えを聞く人>(仏弟子)である。純然たる出家しゅっけ修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)がこれを達成するのは実に容易ではない。

三九四
生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。世の中の強剛きょうごうな者どもでも、またおびえている者どもでも、すべての生きものに対する暴力をおさえて――。

三九五
次に教えを聞く人は、与えられていないものは、何ものであっても、またどこにあっても、知ってこれを取ることを避けよ。また(他人をして)取らせることなく、(他人が)取り去るのを認めるな。なんでも与えられていないものを取ってはならぬ。

三九六
ものごとの解った人は婬行を回避せよ。――
燃え盛る炭火のあなを回避するように。
もし不婬を修することができなければ。
(少くとも)他人のつまを犯してはならぬ。

三九七
会堂にいても、団体のうちにいても、
何びとも他人に向かっていつわりを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽きょぎを語ることを避けよ。

三九八
また飲酒を行なってはならぬ。
この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒をを飲むのを容認してもならぬ。――
これはついに人を狂酔きょうすいせしめるものであると知って――。

三九九
けだし諸々の愚者はよいのために悪事を行い、
また他の人々をして怠惰たいだならしめ、(悪事)なさせる。
この禍いの起るもとを回避せよ。
それは愚人ぐじんの愛好するところであるが、しかしひとを狂酔せしめ迷わせるものである。

四〇〇
(1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられてないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

四〇一
(7)花かざりをけてはならぬ。芳香を用いてはならぬ。(8)地上に床を敷いてすべし。これこそ実に八つの項目よりなるウポーサタ(斎戒)であるという。
苦しみを終滅せしめるブッダが宣示したもうたものである。

四〇二
そうしてそれぞれ半月の第八日、第十四日、第十五日にウポーサタを修せよ。八つの項目より成る完全なウポーサタを、きよくんだ心で行え。また特別の月においてもまた同じ。

四〇三
ウポーサタを行なった<ものごとの解った人>は次に、きよく澄んだ心で喜びながら、翌朝早く食物と飲物とを適宜てきぎに修行僧の集いにわかち与えよ。

四〇四
正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめはげんでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」

『ブッダのことば スッタニパータ』(中村元訳;岩波文庫)


「不飲酒」だけ二つの偈(三九八、三九九)も割いているのを見ると、当時のインドで「酒」(酔わせるもの)はかなり根強いものだったことがうかがえます。

仏教の影響かどうかはわかりませんが(M.K.ガーンディーの影響かもしれません)、一部の社会階層を除いて「酒は悪」という倫理観は、現代インドにまで継承されています。

釈尊が成道された聖地、ブッダガヤ―。撮影:気吹乃宮


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