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速疾なる効験の、ターラー女神

第8世ガルチェン・リンポチェ(1936-)は以前お話ししたチベット仏教のディクン・カギュー派に属する高僧・活仏ですが、コロナ禍に関してこのようなコメントを寄せております。

最も重要なことは、「考えないこと」です。
「私が感染したらどうしよう?」
このように考えてはいけません。
もしこのような思考が生じてきたら、ターラー女神かもしくは自分自身の本尊(イダム)を観想してからこう祈念しなさい:
 願わくばこの世界で、誰も感染しないように。
 願わくば世界全体に、恩恵があるように。

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さらにガルチェン・リンポチェは、こう続けます:

もし弟子たちが至尊ターラー女神の観想と念誦をするならば、それは大きな福徳になります。なぜならば衆生の苦しみを終焉させたいと願って修行するからです。慈の心と悲の心をもって修行に臨むならば、菩提心をますます増やしてく方法となります。

ターラー女神(ターラ菩薩;漢訳では救度仏母、多羅菩薩、度母など)は三世(過去・現在・未来)のあらゆる仏陀の「活動的な側面」(羯磨といいます)を具現化した、大菩薩です。

大慈悲を根本に無限の利他行を実践し、どんな衆生といえども必ずや輪廻の苦海から救度する(解脱させる)とされ、チベット仏教の宗派を問わずに、長く信仰されてきました。

チベットでは「ドゥルマ」と呼ばれます。チベットの歴史上においても重要な本尊です。

ダライ・ラマ法王は一般には観音菩薩の化身とされていますが、ときどきチベット語で「ターレー・ラマ」つまりターラー女神の化身とする表記も見受けられます。語呂合わせなのかもしれませんが、ターラー女神は観音菩薩の瞳から生じたとされるので、ダライ・ラマ法王にターラー女神を見出すことは間違っているとも言えないでしょう。

その法王も、「パンデミックに際してはターラー女神のマントラを唱えることが有効です」とコメントしています。

ターラー女神の大きな特徴を2つ挙げると:

救済する相手に応じて、様々な姿(化身)をとって現れる

緑ターラーと白ターラーが代表格です。緑ターラーがさらに寂静・忿怒の21の化身となって現れたのが二十一尊ターラーで、これらを讃える「二十一尊ターラー礼賛経」は、寺院でよく唱えられます。
そして以前の投稿で紹介した「パルナシャワリー女神」も、緑ターラーの21の化身のうちの1つなのです。

極めて活動が速疾で、ただちに効験をあらわす

仏陀の活躍の側面(羯磨)の象徴ですので、現世利益に対する効果が極めて速いことでも知られます。ターラー女神を本尊とした場合、速やかに障害を取り除いて解脱することが究極の目標ではありますが、目標に至る方便として、様々な現世利益が叶うともされます。

ターラー女神の根本マントラは以下のとおりです。

女尊をイメージしながらできるだけ多く唱えることで、必ずや祈りは女尊に届き、速やかな効験が現れるでしょう。

〈根本マントラ〉
オン・ターレー・トゥターレー・
トゥレー・スヴァーハー。

祈りが終わった最後には、廻向(えこう)をします。
具体的には、下の詩句(廻向文)を唱えれば充分です。

廻向とは、世界の宗教でも仏教にしかない、特別な概念です。
祈念したことによる善をはじめとする自分の善すべてをいったん手放して(ここ重要です)、あらゆる世界の生き物に均等に善根を再配分する、還元することです。

「せっかく私が積んだ功徳を捨てて、一切衆生に還元するとか、もったいないじゃないか!」と思うかもしれませんが、そうではないのです。
こうすることで、「わずかな功徳」は、決して減ることのない無限の功徳へと変換されます。

このカラクリは仏教の中でも大変深遠です。

その人が「仏教をちゃんと理解しているかどうか」を見定めるには、空性の談議なんかするより、廻向の意義を訊ねるほうがずっと手っ取り早いのです。廻向がちゃんと身についている人は、本物の修行者といえるでしょう。

廻向の話は、機会がありましたらまた後日に。

〈廻向文〉
ゲワ・ディイー・ニュルドゥー・ダク
願わくば、この善によって速やかに私が

ジェツン・ドゥルマ・ドゥプギュルネー
至尊ターラー女神(の境地)を成就して

ドゥワ・チッキャン・マルーパ
1つの衆生も残さずに

テイ・サーラ・グーパル・ショー。
彼の地(彼岸;苦しみから解放された境地)に至らしめんことを。


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