「The Son / 息子」から考える鬱病の正体(ネタバレ有)

「ファーザー」のフロリアン・ゼレール監督の新作を見てきました。

見ている間はそこまで面白くないなと思っていましたが、見終わって数日、この映画について色々な考えが巡っているので、感想や自分なりの考察を書いていこうと思います。

あらすじ(ざっくり)

精神に問題を抱える息子が数年前に家を出た父と一緒に暮らしたいと言いだし、父と息子、そして父の新しい妻とその間に生まれた赤ん坊との生活が始まるが…

感想

この映画を見ているときに思ったのは、息子のニコラスが何を考えているのかよく分からないということでした。

質問に対して「別に」とか「そうじゃない」といった曖昧な返答をしたり、意味もなく学校を休んでいるように見えたりしている。

私はだんだんニコラスにイラついてきました。「こいつなにがしてぇんだよ。その困った顔やめろよ。もう見飽きたよ。」と。しかし、こう感じさせるのはこの映画の良くできた点だなと見終わった後思いました。

私はこの映画の題名が「The Son」であることや、ニコラスが映るシーンも多いことから、勝手に息子視点で話が進んでいると思っていました。

しかしこの映画の大部分を占めるのはヒュージャックマン演じる父親の視点だと思います。そして勝手に息子を理解した気になり、理解できない行動をする息子にイラつく。

私はなんとなく、この息子は本当にやりたいことを親に隠して実行していて、本作のラストにサプライズとして親に披露するんじゃないかと思ったのですがそうはいかなかった。
と映画を見ている最中に思ったのですが後から考えるとちゃんと息子はやりたいことを画策し、実行しているのではないか?という考えに至りました。

それが本文の題名にある鬱病の正体という部分に繋がります。(自分が鬱病に対してこう思ってるというのではなく、あくまで映画を見てそう思ったというだけです)

鬱病の正体

この映画で描かれる鬱病の正体は「悪魔」だと思いました。悪魔が息子に憑依し操っていると。
それを強く感じた場面としては、終盤に出てくる入院させるのかさせないのかという問答の部分です。医者は入院を薦めているが、息子は「こんな地獄に僕を押し込めないで!」と懇願します。
このシーンはとても既視感があり、色々なストーリーに出てくる『親しい人間に化けた敵』を想起しました。

そしてその後家に帰り息子は自殺する。家族が再生し、幸せの絶頂というどん底に突き落とすにはもってこいの場です。ここにも悪魔の所業を感じました。
そしてこれこそが上に書いた息子が実行したかったことなのではないかと思いました。普通の映画だったら実は隠れて本を書いていて最後にサプライズとして自著を親にプレゼントするラスト(正に本作のような)を用意するのではないかと思うんです。
しかしそれは親としてのエゴな思想で、そこと対比して息子は悪魔と契約し、復讐を果たすための行動を画策していたのではないかと思いました。

現実と向き合う大切さ


だいぶ邪推めいたことを書き連ねてしまったので普通のことも書こうと思います。
息子のニコラスは単純に謝ってほしかったのだと感じます。それは2つの場面で示されます。
1つは父の新しい妻に、なぜ妻子ある男に手を出し家族から引き剥がしたのかと問いただす場面。もう1つは父に、なぜ自分達家族を捨てたのかと問いただす場面。どちらも謝る余地はあったと思います。

なぜ大人は謝らない!と私も憤りを覚えました。私自身も似たような境遇なので、ニコラスに共感を抱いた部分でもあります。ここで自分が悪かったと涙でも流し謝ってくれていたら本作のようなラストには至らなかったと思います。しかし、そうはならないと現実と同じように示しています。

結局のところ、本作に出てくる大人たちは今現在のニコラスに誠意をもって向かい合っていないのかなと感じました。父親の回想場面で出てくるニコラスは5、6才の頃ですし。

今の自分を見て欲しいと願うのは子供としてあるところだとは思います。本作のラストで「生き続けるしかないのよ」とありましたが、次は子育て失敗しないように頑張ってくださいねー。という感じです。

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