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この業界で働く意義目的を、罹患休暇中に考える(1)。

この業界は、ブラック業界として名を馳せ、新卒の応募者が減ったことで人員不足となっている。そのため、私のように専業主婦として過ごし、一条校の教壇に立ったことがなくても、就職のチャンスがある。履歴書・職歴欄のブランクを気にされない、つまり、「この期間は、何をしていたのですか」と面接時に聞かれないことも、業界の特徴。期間採用に限っていえば。

期間採用は、最長1年ほどの契約。1年経つと、別の学校で期間採用として教壇に立ち、それを長年続けたシングルマザーが、子供を育て上げ大学まで行かせたという事例もあるらしい。

就職直後から年休を取れることも、この業界の特徴。就職後6か月経過を待たずして。ということで、罹患のため年休を取れたので、振り返りをしてみたい。

4月から、初めて公立高校でフルタイム勤務をしている。「中学は、高校の5倍大変」と言われる通り、中学勤務では、とにかくお腹が空き、体力勝負だった。一方、高校では体力は使わない。ただ、公立は残業代が出ないので、時間内に業務を終わらせようとすると、コピー機まで走って行ったりしている。昼休みは、食事を摂りながら小テストの採点、生徒対応など、実質、休んだことはない。

報酬は、事務職にキャリア・チェンジするよりは高い。今までの教育経験が、給与査定に反映されるため。事務職なら昼休みも、まともに取れただろう。一方、事務職なら男女差別を感じたかもしれないが、この業界は男女平等。

「都会か田舎か」という文章もupしてきた身だが、この度、都下の50万都市に転居。理由は、コロナが落ち着いたこと、持ち家(夫の居住地)から近い、ということ。地方の求人には応募しなかった。

まず、都内に転居から3か月以内で人生初の罹患をしたので、コロナ渦中、地方に就職したことは間違っていなかった。一方、5月の連休に、自宅(持ち家)に帰れることは、情緒面の安定につながる。九州、近畿、東北に勤めていた頃には、連休に帰省するなど考えもせず、まさに背水の陣だった。

そして、今回罹患の感染が、ジョブフェアで東京ビッグサイトに行った時であること(マスク着用)。都心に出るのは、まだ無理なのか。あるいは、罹患してまで来年度の職を得たいのか自問。

公立校は、期間採用について、雇用保険に加入させない。地方税の給料天引きも行わない。従って、来年度に就職しなければ、失業保険の給付はなく、今年分の地方税を支払うのみとなる。

この3年、九州・近畿・東北と、期間採用を求めて、転居を続けた。当初は、社会保険が欲しい一心だった。生まれた時から父の共済保険に入り、その後、夫の共済保険に入っており、被雇用者保険加入が価値観となり、国民健康保険を受け入れたくなかった。協会けんぽも、嫌だった。全く起業家に向いていない。貧乏性だ。

就職して月給を手にした時、これは全部自分のお金、と思うと、幸福感が込み上げた。全額を使い切っても、誰にも申し訳ないと思う必要がない。自由。甥や姪に、自分の稼ぎからお小遣いを渡せる喜び。

3年たった今、遠くから銀行振込でお小遣いを送金したところで、甥がお礼すら言わないと分かった。縁は切れた。早朝出勤、昼休みをまともに取れない勤務を3年も続ければ、健康状態も悪化。職場で周りを見れば、全ての女性同僚の手に医師の処方薬。私よりずっと年下なのに。パーマネントの教員は、生き残りなのだ。体やメンタルを壊した人が脱落していく中で。

私の健康は、専業主婦で無理をしなかったから保たれてきたのだった。人生の目的は、無理をせず長生きすることなのか、短命になってもいいから人手不足の学校で生徒の世話をすることなのか。




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