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6期鬼太郎の闇堕ちについて考える。

具体的に言うと6期鬼太郎の最終回あたりの鬼太郎の考えの変化について考えます。ゲ謎のネタバレも含みます。
本編の内容を全て覚えているわけではないので間違っているところがあったら許してください。
これを書いている人は曇らせが好きです。


①鬼太郎の理想とは

そもそも彼の理想とするものは何だったのかと考えると、最終回あたりの鬼太郎の発言に即して言えば「人間と妖怪の共存」でした。ですが鬼太郎の人間に対する反応のドライさから察するに、個人的にはこれが鬼太郎にとって達成したい目標という訳ではなく、むしろ彼が実現させたいのは「平和」であり、その過程で人も妖怪もどちらもが虐げられず共存できるような社会を実現したい。ではないかと考えます。
この理想の根源は言わずもがな水木とまなちゃんによるものです。この2人の人間との共存によって鬼太郎は父親と友達という関係を得て幸せを享受した、という事実が彼の理想に繋がっているのだと思います。

②理想が打ち砕かれる

そんな理想ですがありえないほど手酷く打ち砕かれます。共存することで人と妖怪は平和に生きていけると鬼太郎と鼠男が総理大臣さんに問いかけるも虚しく、「大前提として人は妖怪が嫌いだ」と言われしまうのです。さらに鬼太郎達は人からこれでもかと攻撃を受けますが、鬼太郎はそれに一切抵抗せず甘んじて受け入れます。それはつまり鬼太郎にとって重要だったのは、人に妖怪との共存協力を認めさせることではなく、平和そのものだったからなのでしょう。ここで人に手を出せばまず鬼太郎は負けません。けれど鬼太郎の理想はそんな人間までもが虐げられずに平和の中にいるということ。ここから始まる妖怪と人間の戦争にはどちらにも正義があり、二律背反なその正義がぶつかり合うことで起きてしまうのですが、鬼太郎の正義はそのどちら側でも無い、人間と妖怪どちらにも目を向けた究極に中立な、孤高の第3の正義でした。けれどその選択肢は人間側に根本的から突き返され、踏み躙られる。そりゃ闇落ちもします。私事ですが私が曇らせ作品にハマるきっかけは間違いなく6期鬼太郎です。

③闇堕ち

結局鬼太郎は孤独でした。人と妖怪どちらにも目を向け愛そうとする立場は、互いに憎み合うどちらの勢力にとっても敵。どちらの勢力の中にも自分の理想を良しとするものは存在しない。ではなぜ自分は1人で戦っているのか。誰のために、これを誰が望んでいるのか。6期の鬼太郎全体を通して感じたのですが、かなり鬼太郎が苦しむ描写が多いように感じました。彼の理想のために、つまり妖怪と人のために苦しむのはいつも彼でした。人と妖怪の幸せのためと苦しみに耐えて来たのに、振り返ればそれを望むものは存在しなかった。
ここでの鬼太郎の考え方として2パターンが考えられるかなと思います。
❶せっかくやってやったのに全て無碍にされたことへの絶望
こちらはかなり人間的な考え方だと思います。簡単に言ってしまうと、みんなのために頑張ったけどみんながついて来てくれないならやーめた、ということ。そりゃそうだ以外の何ものでもありませんが、今まで傷つきに傷つきまくった6期の鬼太郎の姿からかなり説得力のある絶望になると思います。ただ鬼太郎という存在がここまで見返りを求めるのだろうか?というのは微妙です。
❷独りよがりだったことへの絶望
簡単に言えば、これがみんなにとって一番良いことだと思っていたのに、誰のためにもなっていなかった。ということへの絶望です。こちらは❶での「見返りが無かった」というより今までの自分が間違っていたのではという自分の考え、行動に対する呆れのような感情から来るものかなと思います。こちらの方が「正義のヒーロー」の絶望としては相応しいような気がしますし、傷つきに傷ついてきた鬼太郎のその滑稽さの輪郭が尚はっきりとして本当に嫌です(良い意味です)
これは❶❷どちらの場合でも言えるのですが、ゲ謎でありとあらゆる全ての希望と可能性と明るい未来を背負って生まれて来た子にする仕打ちじゃ無いですよね。あそこで血を一滴も浴びせないように大切に大切に抱きかかえられて生まれて来た子が結局ここでたった1人で傷だらけになってるの本当におかしい。ゲ謎見た後に6期を見ると尚更その事実が刺さる気がするので6期オタクとしてゲ謎を見れて良かったです。それはそれとしてこういう感じの作品他にもあったら知りたいです。

④気付きと復活

闇落ちのせいか何だかよくわかりませんが(よく覚えてない)鬼太郎は自身の理想が打ち砕かれたこと以外を忘れてしまい、絶望感に溺れ切った状態でまなちゃんと再会します。そしてここでまなちゃんは大きく3点を鬼太郎に伝えます。
・鬼太郎の力が必要ということ
言わずもがなです。鬼太郎がどう考えようがこのままでは鬼太郎が必死に守って来た人も妖怪も全部死にます。
・今までずっと頑張ってきたということ
これらどちらかというと、ずっと頑張ってきたということを自分以外の人に知ってもらっていたということの方が重要な気がします。鬼太郎は孤独な戦いのその空虚さに絶望していましたが、実際はその横でそれを応援する存在がいたことをこの言葉で思い出します。
・自分は鬼太郎が好きだということ
私まなちゃんのここが良いなってすごく思うんですけど、鬼太郎に対して全然恋愛感情がないんですよ。結局恋愛感情って言ってしまえば邪なもので、そこに博愛という考えは伴いません。ですがこれが友情であれば、同じ感情を多くの人にも持つことが、つまり博愛を実現できるんです。まなちゃんの鬼太郎が好きという考えはまさにそれで、鬼太郎「だから」好きというような特別扱いではなく、鬼太郎と関わり親しくなることで鬼太郎を好きになれた、つまり妖怪とも歩み寄れば友達になれる。ということなのです。それが鬼太郎という存在であることは関係ありません。これは人間と妖怪は共存できるはずで、それを自分は望んでいる。というメッセージなのです。
加えて鬼太郎はここで、水木の存在を思い出します。水木と鬼太郎がどのような関係だったのか具体的には知り得ませんが、少なくとも水木との約束のために自分が傷つくことも厭わず戦いに身を投じていたことから、かなりの信頼関係、もとい親子関係を築けていたのではないかなと思います。つまり鬼太郎という妖怪の視点から見ても、水木という人間と共存したこと、彼と親子だったこと、鬼太郎が健やかに育ったことを思い出せたのです。
恐らくこれらは鬼太郎に、鬼太郎の理想がまなちゃんと鬼太郎にとって真に叶えるべき理想であることを思い出させました。つまり鬼太郎にとっての正義を再び彼に信じさせることができたのです。正義のために戦う上で最も必要なことはその正義を信じること。それはさらに人間と妖怪の争いを止める説得にもつながります。
ここからは完全に蛇足ですが、これだけの説得では正直アニメの放映時間帯によってはバッドエンドに行けると思います。結局鬼太郎の心を折ったのは個人の一言でした。ですのでまなちゃんの言葉もまた勝手な個人の意見と一蹴されても正直不自然ではないです。また鬼太郎が孤独に傷つきながら戦って来たことも事実です。人に望まれる望まれない以前に、自分の理想に向かう道であればどれほど辛くても進み続けられる、なんて正義のヒーローでなければまず無理でしょう。少なくとも6期の鬼太郎が正義のヒーローだったおかげで人類も妖怪も助かったのはまず間違い無いので、放送時間帯と鬼太郎には本当に感謝です。私は曇らせが好きですがハピエン厨なので尚更感謝しました。ただ実際問題として何も解決はしてない。結局人と妖怪の共存という鬼太郎の正義もまたいつ打ち砕かれてもおかしく無いですし、それに最終的には鬼太郎に頼るしかないという現状では鬼太郎1人が抱え込むという今の構造に何ら変わりありませんしね。彼と対等に渡り合えてかつ彼が頼れるような存在が現れない限り私は6期鬼太郎のことを心配しようと思います。


ということでここまで読んでくださりありがとうございました。書きたいことは書けたので突然終わろうと思います。

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