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薄さとまったりと積極性が同居して

昨日の実況風エッセイを投稿する前に見ていたnoteでこういうのを見かけた。


素敵な詩や俳句など詩的なものをたくさん書かれる翠さんが本名の自分とハンドルネームの自分が混ざり合ってきたという話だ。

 

自分はそもそもハンドルと本当の自分を切り分けて考えてきた・・・と言っても本当の自分が薄すぎて混ざっていても実は分からなかったのかもしれない。本当の自分は世間的な交流が薄い。闇を抱えたりした結果、昔遊んでいた友人たちとはすっかり疎遠になってしまった。そのためこの2,3年は特に知り合いと飲みに行ったり遊びに行ったりという経験がない。一人遊びに関しては常人よりも(?)遊べる自信があるように思う。どんな自信だ。


 一方でハンドルな自分は充実しているかと思えば「普通」という評価なのだろう。ここ2,3年のゲーム用アカウントで言うなら数人ぐらいとまったり会話してという感じで。穏やかに過ごしてきた。もちろんこれは積極的な交流をあまりする気になれなかった結果なのでそれはそれで有りだったと思う。


 そして今のこのmigminさんは生誕3ヶ月とまだまだ若い。フォロー数を見ても分かるように(今までと違うことを意識しながら)積極的に多様な価値観を見ようとか交流を図ってみようとしている、もちろん野望も添えてだ。そういえば3年も続けてきたtwitterのゲーム用アカウントのフォロワー数を最近抜いてしまった。わずか3ヶ月で抜いてしまうあたり積極的に動いた成果かもしれない。


そうそう3ヶ月とかtwitterで思い出したのだが、noteのおすすめに乗っていてこのnoteが気になります。


 このことを実行していくこともすごいことだが、このできそうでできないことを実行し続けたというのがすごいポイントなんじゃないかと思う。現にこのnoteに触発されたとおぼしきアカウントをもうすでに何人も見かけた。さすがである。次はこれを実行し続ける継続力がハードルになりそうです。3ヶ月は短いようで長い。


 これを自分も実行していくのかどうかは分かりません。そもそもある程フォロワーがいたからこそ肥料という形で効果が現れたのであって、ほぼまっさら状態のアカウントに効果があるかという点は不透明なところがあります。今週中にはtwitterの活動を本格的に始動しようと思います。ただ向こうで書くことはあるのかは・・・未定。本音を出しすぎるとろくな事にならない感があるのでそのあたりは控えめに。


#note #エッセイ #ハンドルと本当の自分 #隠れすぎた本当の自分

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