見出し画像

ふりかえり

実は他人のnoteのはそれなりに読むが、自分のnoteをあまり読まない。

一定の期間が過ぎたら過去のnote達を見直して例えば誤字修正、例えばリライトのようなものをしなければいけないと思う。でも自分はしていない。

毎日こうやってnoteを書いているだけというのはすなわち今、もしくは今から始まる未来しか見ていないようなそんな気分になる。

過去の今まで書いてきたnote達をなぜ振り返らないのかと言うことを考えてみると、一つには恥ずかしさというのがあるのではないかと思う。

例えば自分の半年前というのはnoteを始めたばかりで方向性もまだ決まっていなった時期だ。この時期は今以上にふらふらとしていた気がする。あとは自分に嘘をついて書いた時期という記憶もある。

嘘というのはレゴバットマンの映画をコンテンツ会議向けに書いたnoteだ。リンクするのも恥ずかしいのでしない。

このnoteは鑑賞録よろしく良かったことについて書こうと思っていた。けどうまく書けなかった。なぜかというと前作のレゴムービーが自分の中で良すぎたので褒めているようでほめていない、まるで嘘をついているようなものに仕上がった。

今でも多少なりともやらかしたと思うnoteは多い。でも半年前や毎日更新を始めたばかりの時期のnoteは今以上にやらかした恥ずかしさが多いと思う。

それら恥ずかしさが多い当時を自分は見たくない。というかあの恥ずかしいnote達を見た上で今でもフォローしてくださっている方々は本当にすごいと思う。

ただそろそろこの時期のnoteをそろそろ見直してもいいのではとふと思っている。アクセスの良かったもしくは反響の多かったnoteをまとめる人は多い。そこをあえて逆についてみる。自分がやらかしたなと思うnote達をもう一回掘り起こして見るという試みだ。

面白いのかどうかは分からないですが。

#日記 #エッセイ

いただいたサポートはサムネイルに使っているダンボー撮影の小道具に使わせていただきます。