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やらかした過去noteに学ぶ

やらかしたnoteというのは誰もが一つは持っていると思う。やらかしたというのは書いていた内容が自分なりには良かったと自信を持っているはずなのに「あれ・・・」と思うことだったり、最初から気持ちの上で「いまいち・・」と思ったところからの反響も得られず二重苦に陥いるなど、基本的に投稿したものの失敗したと感じたものです。

というわけで、改めて掘り起こしていこうと思います。これが供養(?)になればと思います。今回は3つのnoteを取り上げました。

一つ目はこちら。

昨日も書いたが、初めてわずか数note目ぐらいの本当に初期の初期のnote。たぶんこれを読んでいる人は今のフォロワーさんにはいないレベルだと思います。

最初の方だからというのもあるが、今よりも文章の書き方が下手だ。あとはまだ書けるだろと思うところでぶつ切りに終わっているようなところもマイナスのように感じる。

これらの要素を引き起こした要因はそこまで共感を得てもいないのにむりやり書いてしまったことだ。仕事じゃあるまいしそこまで無理やり書かなくても良かった。

また前作「レゴムービー」があまりに衝撃的すぎて良すぎたというのも一つだろう。それに引っぱられて上手くかけなかったというのも言える。

このnoteを振り返っての教訓は共感を得る、もしくは感情がそれなりに入っていかないとうまく書けないことである。中途半端な気持ちで書くとそれがそのままに反映される。

次に二つ目はこちら。

毎日更新を初めて数日、さっそくネタに困った自分が切羽詰まって書いたnoteである。当然のことであるが今のような「書けるという安心感」はこれっぽっちもなかった。

タイトルもどことなくブログ調にしてみたが、自分にはこういうのは向かないらしい。ブログ調にするならそこからの内容も「問題提起→起承転結の分かる目次→それぞれの項目に伴う内容」といったものにすべきだと思うが、そういうのをほとんどしなかった。

結果としてタイトルぐらいしか食いつくポイントがないという残念noteに仕上がった。この時に思ったのは背伸びしすぎることは自分にとっては不利に働く。そしてもう少し素直に書こう。煽りは自分には向かない。

最後の三つ目は上のnoteと同じく5月に書いたnote。

ざっくり言うと江ノ島に資料写真を取りに行ったという話です。もうすでに時効だと思うので言ってしまうと写真を撮った後気持ちがふらふらしていた。

「次にどこに行こう…何やっているんだろう…」

海岸を歩いていてこういう気持ちが頭をよぎった。これらの気持ちがそのままnoteに入ってしまった。これならもう少し別の話題を書いたほうがましだった。

あとはそのあたりの気持ちが反映されたのか内容がものすごく日記になってしまった。しかも日記としても先に書いた気持ちがあったので、面白みがまったくない。

出かけたとしても書かない自由がある。今思うとこれが学びなのかもしれない。日記はよほどのものじゃないと共感や反応は得られにくい。なら例え非日常な外出や出かけがあったとしても、ここは日記ではないのだから必ずしも書く必要はない。

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普通こういう自分のnoteをまとめる時って反響の大きかったもの、好評だったものをまとめるのが普通だと思う。良い物をよりまた多くの人に伝えたい、シェアしたいという流れだ。

ところが自分は逆を実行した。いずれのnote について書いている自分すらも盛大にやらかしたと思っているので、正直読んでほしくない。あくまでもこのnoteの本文をなぞるぐらいでいい。

最後にこのように振り返った気持ちをみると今の自分に活かせていると思う。反省からの学習というやつだ。今も当たりハズレが多い自覚はある。ただ昔と違うのはハズレのダメージが昔よりも小さくなってきていることだ。

こんな自分を見ていただきありがとうございます。今度とも浮き沈みが激しいですがよろしくお願いします。

#日記 #エッセイ #note

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