noteのイメージ
ふと最近noteを始めた方のnoteを見ていて色々と考えることがある。
最近始めた方のnoteというのは森澤好夏さんによるnoteだ。スキをいただき可能性的な面白さが垣間見えたのでフォローさせていただいた。
自分はnoteが始まってからいるわけではなく誕生して3、4年のうちの半年しかいない。それでもこの半年の中で毎日いろんな方のnoteを見ることはもちろん、書くことも続けている。
そんな中で彼女の書く感想はとても新鮮だし、改めて自分のnoteについて考えさせられる。
noteは大前提としてsnsの一つである。ただsnsと言ったら多くのものと同じだ。でもnoteには他と違う特徴がある。
まずは「雰囲気」だ。なんというかsnsが成熟した時にありがちなギスギス感がなく、どちらかというとゆったりとしたときの流れを感じる。
また「雰囲気」に触発されたのか分からないが「一歩踏み込んだ表現をする人が多い」ということだ。
以前も書いた例えになるがスターバックスで新作の飲み物が発売されたとしよう。ここで商品について写真を飾り一言をのせるのはインスタグラムである。うまいかうまくないか感想をつぶやくのがツイッターだ。
noteはと言うとその味について単純な表現ではなく自分の経験の思いに馳せて表現したり、もしくは頼んだときの雰囲気で感じたことを書くというイメージがある。
もちろんこれはイメージであり写真だけを載せたりインスタのような雰囲気でnoteを書く、あるいは撮る人も存在する。
そうそう一歩踏み込んだ表現として全員がコラムを書くかと言われればそんなことはない。今までいろんな方のnoteを見ていて文学系の人も一定数存在する。小説、詩、俳句、短歌などなど。これも一歩踏み込んだ表現の仕方の一つだと思う。
あとは何か職をつけた人がある意味サブコンテンツとしてやっているというイメージがある。占い師、ライター、プロデューサー、写真家本当に多種多様な人達がnoteにいる。そして半分ぐらいは本名で半分ぐらいはニックネームで今日もnoteで活動しているような雰囲気だ。
さて自分のnoteは一歩踏み込んだ表現ができているのだろうか。気づいたらハッシュタグに染まってきた自分のnote、表現の仕方に色々悩みそれでも毎日書いてきた。
「一歩踏み込んだ皆様それぞれの表現」に尊敬やあこがれを持ちながら今日もnoteを書く。
皆様はnoteにどんなイメージがあるのだろう。
いただいたサポートはサムネイルに使っているダンボー撮影の小道具に使わせていただきます。