20200528麻雀のお話と俺の麻雀にとてつもない大きい衝撃を与えてくれた方への日記

麻雀のお話です。

俺が麻雀を覚えたのは小学校5年生の頃でした。
ただ、下地として、小学校4年生の頃に「ポンジャン」を買ってもらって、
結構楽しくて、友達としょっちゅう遊んでいました。
小学校5年生の時に、転校生がやってきました。
ここではS君としておきます。
家は本当に近所で、歩いて2分もかからない程の場所でしたし、
クラスも一緒だったことから、直ぐに仲良くなりました。
ある日、遊ぶ約束をしていたので、S君の家に向かいました。
確か、日曜日だったと思います。昼まわってすぐくらいに行ったので。
そしたら、S君は「おー、そのまま入ってきてー」って言うので、
こんにちはー、って言いながらS君の部屋に向かおうとしたところ、
別の部屋から「こっちこっちー」って呼ばれました。
その部屋に入ると、お父さん、お母さん、S君、妹さんの4人でポンジャンに似ている違うゲームをしていました。
俺「なあなあ、S、コレ、ポンジャン?」
S「いいや、コレは麻雀ってゲームだよ。もうすぐ終わるから待ってて。」
と言われ、S君の後ろで見ながら終るのを待っていました。
その時に「ポンジャンと模様は違うけど、随分と似ているゲームだな」って思っていました。

それまでに何度もS君の家で遊んだりしていたので、家族の方々は俺に優しく、仲良くなっていました。

ゲームが終わり、S君に「ポンジャンに似てるねー」って言ったら、
お父さんが「ポンジャン出来るの?だったらすぐにルール覚えれるよ。やってみるか?」って聞いてきたので、
S君を見ると、うんうんと頷いていました。
そしたらお母さんが「じゃあ私抜けてジュースでも持ってくるね」って言われ、お母さんの座っていた場所に座りました。
お父さんとS君から、物凄くザックリとルール説明されただけでしたが、ポンジャンを知っていたので、
割とすんなりルールは頭に入りました。
そして、初めての麻雀体験となるのです。
ポンジャンよりも種類も枚数も多いので、形を作るのがなかなか出来ずに、ドンドンと点数が減っていくばかり。
難しいなぁ、と思いながらも、とても楽しく打っていたことを今でも覚えています。
そしてオーラス(最終局)、自分は親ではなかったのですけど、1回くらいは上がりたい!って思いだけで打っていました。
その時、初めて好配牌が来て、ツモもかみ合って、結構良い形になりました。
まだ役を覚えていなかったのですが、組み合わせの基本はポンジャンと大差ないので、
なかなか良い手だぞ、と我ながら思っていたことを覚えています。
そしてS君の捨てた牌でアガリ(ロン)となり、その頃にはジュースを持ってきてたお母さんが俺の後ろで見ていて、
「え?凄いよ!!倍満じゃない!逆転でTOPだよ!!始めててTOPなんて凄い凄い!」って褒めてくれました。

それから、近所の別の友人も誘うようになり、みんな麻雀に嵌って行く事となりましたw

中・高と、暇さえあれば、友達らと麻雀ばかりしていましたw
S君は小学校を卒業してすぐにお父さんの仕事の関係で、また引っ越して行きました。
今となっては連絡先も知らないし、何処かですれ違っても気付かないことでしょう。
でも、S君のお陰で麻雀に出会い、その麻雀が縁で友人もたくさんできました。

若い頃、深夜のテレビで麻雀番組を放送していました。
番組名は忘れましたが、多分、11PMじゃなかったかな?^^;
そこで初めてプロ雀士の存在を知ります。
そして、そのプロ雀士の中で、俺が惹き付けられた方の名は、小島武夫という方でした。
見ている俺らがワクワクするような打ち方をする方でした。
そしてそこで「麻雀はやはり面白い!!」と再認識することとなったわけです。
自分もあんなカッコイイ麻雀が打ちたいと思い、戦術書とかを読むようになるのですが、
絵と文字だけでは伝わってこない感覚でした。
麻雀は、やっぱり実際に打って面白さがわかると。

そして現在に至る訳ですが、今でも大尊敬するプロ雀士は小島武夫先生ただ一人です。
尊敬するプロ雀士の方は多数いますが、俺の中では、小島先生が絶対的な存在なのです。

本日、5月28日は、小島武夫先生の命日になります。
逝去されて2年・・・まだまだ活躍してほしかった偉大な方です。
お会いする機会はありませんでしたが、自分がいつか向こうの世界に行った時に、
是非ともお手合わせ願いたい方です。

小島先生、俺に麻雀の面白さ・エンターテイメント性を教えて下さり、
誠にありがとうございました。

合掌。

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