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ヴブドゥ② / 自作短編小説

出版社の好意もありアゴアシつきのその撮影旅行の宿泊先は、五つ星の超高級リゾートホテルが立ち並ぶヌサドゥア地区の、グランドハイアットバリだった。

プールにレストラン街に、ショッピングモールにプライベートビーチまで揃った一つの町になっているホテルの居心地は最高だったが、物価はヨーロッパ並み。僕はそれよりも物価も安く猥雑で活気のあるクタ・レギャン地区に毎日出かけ、クラブやサーフスポットやバーでバリを楽しんでいた。

そして、いい店のありかを屋台にたむろするバリニーズのお兄さんたちに尋ねると、彼らは気さくに喜んで店を案内してくれる。そんな中、意気投合して数人の若者たちと路上で宴会をしていたのだけれど、そこを見られたのだろう。

「バリには喜捨の心が生きていましてな、持てるものは持たざるものに施しをするのが文化なんです。あなたはお若いのに感心なものだと思ってみていたんです。」

老人は変わらず穏やかな瞳で語りかける。

「いえいえ、そんな高尚な気持ちの行為なんかじゃないですよ。気さくな彼らとの話を楽しんだだけです。それにしても日本語がお上手ですね。」

「日本語はインドネシアを日本軍が占領していた時に学びましてな。私くらいの年の人間は結構日本語が話せるものなのです。あなたはお若いからご存知ないかもしれませんが、インドネシアの独立の時に解放戦線が英仏の軍隊と戦ったのです。太平洋戦争に負けた後に、たくさんの日本兵が日本に帰らずにインドネシア解放戦線に加わって、我らのために命をかけて戦ってくれたんです。総理大臣が意味もなく謝っておられましたが、私達はむしろ日本に感謝しているのです。それに、今のバリの繁栄は、日本からの多くの観光客に支えられています。いわば日本語は商売道具でもある。それはともかく、お若いかた…」

そう言って老人は言葉を切る。その瞬間に熱帯の植物の葉を叩く雨の音が響いてきた。

柔らかで、そして激しい音。
葉の上で小躍りする妖精達の歓喜のダンスが湿潤の薫りをいっそう色濃く描き始めた。

(続きます)

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