自と他の線引き
一匹のコウモリが私だとしたら
これまで、この世界の線引きをコウモリの世界を借りて表現してきたのですが、
『コウモリと線引き』
『コウモリでオールオーヴァー(全面を覆う』
夥しい数のコウモリを書くたびに、そのコウモリたちの中のどれか一匹が自分かもしれないと感じていました。
そこで、自分と他人、自分と世間との線引きを一匹のコウモリからの視点で表してみようと思いました。
一つの作品を書いては、ん?いやこんな時もあるなぁ、といくつか違うパターンを創っていきました。
その時のシチュエーションや気分、考え方で線の引き方って違っちゃうんですよね。
今回はそんな自と他の線引きの作品たちを見て頂こうと思います。
前回の作品たち同様、これらは全て2021年4月に東京の青山でおこなった個展『蝙蝠(コウモリ)』に展示していたものです。
『BAT ー困惑』
55.5cm×46cm
いろんなコミュニティや場所で、様々な意見や想いを聞き、知らず知らずのうちに影響を受け、合わせているというか萎縮してしまっている自分。(真ん中で情けなく小さく歪んでいるBAT)
『BAT ー主張』
127cm×143cm
大きめの作品です。
いろんなことを気にしてバランスをとるのが習慣になっていると、知らず知らずのうちに自分らしさがなくなり(何が自分らしさなのか、それもよくわからないのですが)、萎縮していることが嫌になった時、どこかうちなる方から「開き直りのパワー」みたいなのが出てくる時があります。
「はい、私は私ですけど、何か?お構いなく」状態ですね、これは(笑)
『BAT ー溶ける』
55.5cm×46cm
主張するでもなく、周りに合わせすぎるでもなく、あるがままを受けいれ、宇宙の一部になっている自分を感じたい。
綺麗事のようですが、でも本当はこんな感じなんじでいると気持ちよくて楽かも〜って思います。理想です。
『BAT ー希望』
60cm×59cm
黒っぽいところ判別しにくいですが、全部BATと書いてあります。
自分の周りや世間の人たち、すみません、BATになってもらってます。
真ん中の小さな丸は自分。
いろんな人と接しながら、なんだかなぁ、とか、なんでやねん!とか、仕方ないいなぁ、とか思いながらも、日々起こってくることに対処しながら生きている自分。
でもそうやって生きているのも悪くない、そんな気分で書いたからでしょうか、意外と明るい作品になってます。
『BAT ー乖離(かいり)』
40.5cm×53cm
自分と向き合うもう一人の自分
これは心の中なのか、はたまた鏡を挟んだ状態なのか。
自問自答する二匹のBAT(本当は一匹)。
昨日は右と言ったかと思えば、今日は左!と極端に変わる時しばしば。本当は大体がこのかけ離れた二つの境界線の中でふらふらしていることが多いんですけど、
49:51、少しでもどちらかよりになったならば「ハイ!右です!」とか「左でいきます」とはっきりと意思表示してしまっているだけなんだと思います。
でも、常に真逆でもいいんじゃない?と思っている自分、いるんですよねぇ。
『BAT ー意識の死角』
59cm×60cm
実物だけでなく、映像で見ることさえも怖くて仕方なかったたコウモリ(今もですけど)、
このシリーズをつくるまでは、自分の意識から消していたコウモリ。
コウモリの他にも、実際に目に見えて存在するものなのに存在しないかのようにしているもの、目には見えないけれどそれを考えると怖すぎて(嫌いすぎて、どうでもよすぎて)意識から外しているもの、ってあるなぁって思って書いた作品です。
そうやって、無意識のうちに、勝手な都合で「意識の死角」をつくって生きているんだなぁ、って思います。
いいか、悪いかは別にして。
突然ですがマヤ暦!
こうやって作品を整理しながら、自分とコウモリとの関係を考えていたならば、突然マヤ暦に詳しい友達からメールが来て、次のようなことを教えてくれました。
マヤ暦でいう個人の特性を表す「KIN」、私のそのKINを詳しく見てくれたところ、潜在意識のモチーフがコウモリになっている!のだとか。(マヤってよく分からないけどいろいろあるんだなぁ)
そして、マヤ暦の中でのコウモリは「周りの人に支えられているということに気づかせてくれるマスコット」なんだそうです。
確かに、普段気にもとめていなかったこと、考えないように押しやっていたこと、そんな存在に気づかせてくれました、コウモリ!ドンピシャリ!でした。
っていうかコウモリそのものを押しやってたんですけどね。
コウモリさん、ありがとう!
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