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ノイズの向こう側で描かれる、日本のあの世 〜幽体美人「幽体美人」レビュー〜

 「幽体美人」というアルバムを手に入れた。
 2018年発売の7曲ミニアルバム。いつぞやからプレスがストップし、最高だったPVが消えてしまったことから、誰も語らないそのアルバムに好奇心がくすぐられていた。発売当初に決断できていれば4分の1の値段で買えていただろうが、時間を戻すことはできないのでメルカリの赤いボタンに指を落とし、今に至る。

 本題に入る前に「the sky mata」についておさらいしておく。北海道を活動拠点とし、bandcampでも精力的にアルバムをリリースしている日本人?男性シンガーソングライター・mashew hayaのメインプロジェクトがthe sky mataだ。楽曲の質感としては、これを伝えるために引き合いに出せる類似したアーティストがすぐに浮かばない。しかし、そこに彼のオリジナリティが担保されている。 
 ギター、ドラム、ベースというオーソドックスな生楽器とネイティブであろう小慣れた英語詞による歌唱で構成されているが、それらをワールドミュージッック的なフィーリングを通過した「異界感」に落とし込む傾向がある。オブスキュアな音像から無理やりひねり出そうとすれば、1stアルバムなどからは「ダーク・インディー」みたいな言葉も浮かぶが、全てを言い当ててはいないだろう。バックパッカーがアジア圏の国で深夜に行われる奇祭に迷い込んでしまった時、流れていた音楽。あるいは、boards of canada「Music Has The Right to Children」の世界線、幽霊たちのインディーバンド。魔のマックデマルコ。

 また、加えてアートワークやPVも超一級であり、彼自身が作成しているであろう強固なこだわりを感じる。ローファイでノイジー、日本の古いVHSからサンプリングしているであろう質感はvideotapemusicに更なるエグみを加えたようで、サイケと一言では片付けられない質感がある。彼がセルフプロデュースで一貫した世界観を作れるマルチアーティスト的な側面を持つことも伺えるだろう。

(余談ではあるが、海外アーティストのツアー同行や、映画音楽の提供など興味深い活動は多い。)

 そして本作である。基本的な楽曲の傾向は同じであり、ダークでサイケな雰囲気が時折顔をのぞかせるが、一貫して日本語で唄われている。the sky mataがやや海外的な空気のダークさを取り扱っているのだとしたら、本作は「日本」という舞台設定をブレさせずにテーマとしている感があるだろう。

 リードトラック「年頃」ではカセットテープのような音像で、チューブを絞り出すようなファズの音が印象的だ。また、日本語で唄われているからだろうか、ポップソングとして非常に質の高いメロディーを作れるアーティストであることが再確認できるし、彼のワードセンスを母国語としてダイレクトに楽しめるだろう。
 残念ながら歌詞カードがないので耳で捉えるしかないのだが、「直立エンジン」「壁抜け男」など絶妙な言葉選びを随所に盛り込みつつも違和感がない。特に6曲目の「苦い」という楽曲の歌詞に着目したい。

空の器に移された/ 黒いエーテルの/あなた意味を調べるけど/滑る紙がめくれない

 時間も場所も登場人物もはっきりさせないような世界感の詩が音と融和している点は坂本慎太郎的だが、聞いている最中は違うアーティストの顔を浮かばせないオリジナリティの強固さ、楽曲の集中力には改めて驚かされる。「エーテル」という言葉をここまでナンセンスかつ詩的に描写できるアーティストがいるだろうか。さらに追い討ちをかけるような辞書をめくる情景描写の妙。あっぱれというほかない。

 「はっぴぃえんど」や「細野晴臣」というキーワードも浮かんだのだが、どうだろうか。事実、メロディーの面では意識下にあると思うし、ギターも改めて聞くと類似点を感じる。もちろん、単純な模倣ではない。彼の持つダークなエキゾの感覚によって捉えた「日本」について、アルバムタイトル通り「幽」のフィルターを通している。鮮やかさと薄暗さが同居した、誰にも見つけられなかった日本の逢魔時を音で表現しているようだ。
 失礼を承知で言うが、日の目を見る作品ではないかもしれない。しかし、VHSの画面のノイズのような、あの世へと続く甘美な光を発し続けているのだから、興味があるあなたには、是非見つけていただきたい。

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