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遅読を強いる本

もともと本を読むのは遅い方だが、無駄な抵抗のように理解しようとして読み挑んでいるような場合は、今回のようにさらに遅くなってしまう。まだ、現時点で第Ⅰ部しか読めていない。わかるとわからないに関わらず、時々賢者の言葉で脳味噌を浸し洗い流したくなる習性がある。この本も正直なところそんな具合で、Amazonのおすすめに上がって来て、表紙の蝶に惹かれてつい手をのばした感が否めない。

「・・・人びとが未来に確実性を求める根拠は、神学的なものでも、政治的なものでも、科学的なものでもありうる。しかし未来がまだ起こっていないものである以上、そうした予言が本当に正しいかどうかを確証する手立てはない。特定の短期的な言明を伴う予言は、繰り返し繰り返し、正しくないことが――ないしは正確ではなかったことが――あきらかにされてきた。他方で終末論は本質的に検証不能である。未来に対する信憑は歴史的にはさまざまなかたちをとってきた。十九世紀および二十世紀は、未来に対する信憑が異常に強かった時代である。だがその時代の終わりには、世界中が幻滅に流され、多くの人びとがその信憑を失った。とはいえ、未来の確実性に賭けようという人びとは常に存在しつづけている。」

「さてこれが私たちの現在地だ。」と語るウォーラーステインがこの本を成したのが2004年、日本語訳の本書は2015年発行と奥付にあるから、その目から鼻に抜けるような頭脳はざっと20年先の世界を見通して憂い、希望を託して果敢に書き進めたわけだ。知の行き詰まりを痛感し、その枠組みから変えるしかないと。それは並大抵のことじゃない、最高位の専門の思考以前に、計り知れない労力とエネルギーが必要だ。この日本の日々のニュースや国会中継にもその悪例が散見される。資本主義の民主主義の遅々とした歩み、停滞いや後退か。

「私たちは現在を知ることも、過去を知ることも、未来を知ることもできない。だとすれば私たちはいったいどこに置かれているのか。とりわけ社会科学——それは社会的現実を説明するために存在しているはずだ――は、どこに置かれているのだろうか。大きな困難に置かれていると考えるべきではあろう。しかしなんの手立てもないわけではない。私たちが自らの知のシステムの礎石に不確実性を置くとしたら、そこに現実の理解を構築することは不可能ではないのではないか。」といって作者の思考は始まり、本書の目的がはじめに語られる。

「近年、科学は攻撃にさらされている。それはもはや、最も確実な真理の形式——多くの場合、唯一 確実な真理の形式——としてこの二世紀にわたり誇ってきた比類なき権威を失っている。私たちは、 神学、哲学、そして民衆の知恵などは、どれも真理主張としては決定的なものではなく、ただ科学のみが確実さを提供するものだと信じることに慣らされてきた。科学者の主張の謙虚さ――すべての科学的所説は、新しいデータが利用可能になれば修正を余儀なくされる——は、科学をそのライバルとなる他の真理主張の形式から区別したようだった。」

「十九世紀後半以来、とりわけ十九世紀最後の二十年間においては、多くの自然科学者がニュートン的科学の前提に挑戦してきた。これらの科学者たちは、未来を本質的に不確定なものとみなす。彼らは均衡が例外的な状態にすぎず、むしろ物質現象はたえず均衡から離れる動きを示すと考える。彼らは、カオスのなかから(予測不可能な) 新たな秩序が生成する分岐点をもたらすものとしてエントロピーをとらえ、それゆえエントロピーの帰結を死ではなく創造だと結論づける。彼らは自己組織化を万物の根源的作用としてとらえる。こうした考えはいくつかの基本的スローガンで表現される。時間の対称性から時間の矢へ。認識論の基礎は確実性にではなく不確実性におかれるべし。科学の最終的な所産は、単純さではなく、複雑性の解明と知るべし。 」

「カルチュラル・スタディーズ[文化・文学研究]もまた、複雑性の科学と同じく決定論と普遍主義を非難の対象とした。カルチュラル・スタディーズは、社会的現実に対する判断は現実には普遍的たりえないことを理由に普遍主義を攻撃した。善と美の(いわゆる正典の)領域における普遍的な価値を仮定し、この普遍性の理解を具現化したテクストをその内側から分析するという人文学の伝統的な思考法に対する批判をカルチュラル・スタディーズは代表するようになった。カルチュラル・スタディーズは、テクストは特定の文脈において創造され、読まれ、評価されるものであるがゆえに、社会的現象であると主張したのである。」
細分化して専門性を高めた結果、視野が狭くなり、全体を俯瞰できなくなるばかりか、それを根本から否定するに至ったと。だからといって安直に分野を横断する思想や考え方に与する立場でもないと。

「美的判断は 普遍的ではなく個別的なものであり、またそれは社会的な立場と絶えざる権力闘争を反映しているという意味で、社会に埋めこまれたものであり、また常に変化するものであると批判した。こうした批判により、「文化」の研究は歴史化され、相対化されてきた。この運動は、大学システム内における研究の対象ないし主体としての承認を求める多くの被支配的な集団——社会的に抑圧され、「マイノ リティ」と定義された、女性をはじめ階級・人種・民族・性に基づく数えきれないほどの少数派の集団——の要求と一致し、運動はそれによっていっそう強固なものとなった。」

その傾向は今も顕著だ。がしかし彼は「グローバルな規範やメタ・ナラティブに向けた批判について問うべきなのは、その批判がヨーロッパ中心主義を壊すため――これが意味のある目的なのはまちがいない――の戦術たりえているかということだ。その目的は普遍主義を否定しさることではなく、普遍主義の再構築を可能にすることなのだ。」という。

第Ⅱ部を読み終え、この本はいくつかの論文、公演の集大成のように思われる。特にⅡ部には、ウォーラーステインが仲間・同じ探究に挑んでいる学者・識者に向けて、繰り返し自分の考えを胸襟を開き噛み砕いて語りかける場面がある。事は緊急を要し、言葉は熱を帯び真に迫る、立場や垣根に固執している場合ではない、動く時だと叫んでいるようで、読んでいるだけでも震えて来る。

「今日では、社会科学の言説と親和的な言語(時間の矢)を用いる複雑性の科学の科学者がおり、同様に社会科学に親和的な言語(価値と美的判断が社会に埋めこまれていること)を用いるカルチュラ ル・スタディーズの支持者がいる。両者のグループはともに勢力を増している。知の世界が求心的モデルに転換しつつあるというのは、二つの両極 (科学と人文学) が中心(社会科学)に向かって移動しているという意味であり、そこである程度は社会科学の言葉遣いが用いられているということである。」

「過去二世紀の間、私たちは、この両者(科学と哲学)は決して交わらないという前提に立って学問の組織を構築してきた。それがいわゆる「二つの文化」である。社会(人間) 科学は両者のあいだに宙づりにされた。さまざまな個別科学ディシプリンはそれぞれ、この認識論上の大論争のいずれかの側に立つ傾向があった。いわゆる法則定立的な個別科学ディシプリン(特に経済学、政治学、社会学) は科学であろうと(あるいはすくなくとも科学的であろうと)した。人類学、東洋学、歴史学は、人文学的、ないしは解釈学的認識論のほうに惹かれていった。それらの個別科学ディシプリンは人間の社会的行動について、その同一性ではなく多様性のほうを強調した。」

「まさにこうした(経済的なもの、政治的なもの、社会文化的なものとを存在論的に区別するような) 語彙自体が、有用な分析を阻む制約として働いていることになる。諸領域の三幅対は、崩壊しつつあるイデオロギー的な見方にしか支えられていないのであり、もはや時代遅れの分類法なのだ。
そしてこれこそが、科学を追い求める歴史家の喫緊の課題なのである。われわれは、自分が追い求めている科学の種類をはっきりさせておかねばならない。われわれは新しい用語法を練り上げて、それによって、十九世紀的二律背反——個性記述/法則定立、事実/価値、ミクロ/マクロ——を乗り越え、人間行動の諸領域の三幅対という考え方から抜け出していかねばならない。このことをなし終えてやっと、われわれは前進を阻む下草を薙ぎ払ったことになる。そこからわれわれは、複数の時空の社会的定義がそれぞれいかに異なっているかの認識を深め、それら複数の定義を用いて、われわれの現在の現実にとって適切な解釈枠組みを再創造していかねばならない。」

「しかし、過去には無限に細部が存在するので、過去の全体を考慮に入れることは人間のもちうる能力の及ぶところではない。ゆえに私たちは選別を行う。実際のところ、私たちは一連の段階的な選別を行っている。私たちは未来に向けて賢明な歴史的選択をしなければならない。このことを知っているということが過去についての選別の最良の指針なのである。」

この期に際して最初に選ばなければならないのは「選別に用いる分析単位である」といい、その分析の際に参照すべき枠組みとは、彼が「史的システム」と命名したもの。

「史的システムとは、大規模で長期的な現実とシステム的な性質をもつ社会変動の単位であり、史的システムは単一の大規模で持続的な分業を具え、 分析可能な一体の諸過程によって統御された生命である。あらゆる史的システムはたえず進展するという意味で史的であり、あらゆる史的システムは、それぞれが持続的な性質を持つという意味においてシステム的である。これはつまるところ以下の二つのことを意味する。史的システムには、時間を経るごとに変化するものだが、空間的な境界が存在する。また、史的システムには、その開始期、継続的な発展の時期、そして終焉の危機の時期という時間的境界が存在する。」

「たとえば 、私たちは今日、「資本主義的世界=経済」という一つの世界システムの内部で生きていると私は考えている。今日ではこの世界システムは地球全体を覆うに至った。およそ五○○年前にこのシステムが誕生した時には、地球上の比較的狭い地域しか含まれていなかった。」

そしてもし今、システムが危機的状況ならば、次なるシステムへの大きな選択をし、歩むべき分岐先を決定するという、極めて影響力の高い重要な時であると説く。まさにその時、歴史家・社会科学者が「政治的かつ道徳的な任務を帯び、過去を構成ないし再構成するとすれば、そのとき実際に歴史はひとつの手段となるのだ」と提唱している。

「私の思いえがく史的社会科学の文化は、理論化や理論と相反するものではないが、早まって理論に閉じこもってしまうことには慎重である。むしろ、広範なデータ、広範な方法、他の知識の世界との広範な関連がその最大の特徴なのである。寛容と懐疑をかねそなえた議論の雰囲気のなかでなされる力強い分析が、史的社会科学のなしうる最大の寄与である。もちろん私は、比較的近い過去(わずか二世紀にすぎない)の出来事にもかかわらず深く根付いてしまった哲学と科学の離婚状態———いわゆる二つの文化——の克服は、今後五〇年以内に始まり、あらゆる知に対する単一の認識論の構築が緒に就くだろうと考えている。このシナリオでは、再活性化された構造的・歴史的社会科学は、今日私たちがそれぞれ自然科学と人文学として分類している領域を結ぶ枢要な繋ぎ目となる。 史的社会科学の冒険はいまだその幼年期にある。本質的に不確実な世界のなかで実質的に合理的な選択を行う可能性が私たちの前に存在している。その可能性は、現在の世界システムから次の世界システムへの歴史的移行——その移行は知の構造においても同様に必然的に生じる――という暗い時代において、私たちが希望に向かう目標を与えるものだ。すくなくとも社会科学全体のあり方について真剣にその改善に努め、より有益な道を求める努力を行おう。私たちの個別科学ディシプリンを少しでも確かなものにしていこう。」と言を結ぶ。

自分の考えを「理論」と名づけると著した時点で終わってしまうから、しかも、そもそも長期持続ロング・デュレありきの考え方を説いているのだから「分析」と呼びたいと、学者であるから論文という形で思考や思想を広め伝えることにはなるけれども、これは意義ある試みなのだと真摯に切実に訴えかける彼の姿は、私には確実に救世主に見えた。


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