【詩】なだらか

温水器の電源は落としたし
総ての部屋の照明も消した
鍵もかけ忘れていないことを
僕は知っている
家を離れてよく知ったあの場所へ行く
よく知った場所なので迷わない
何ひとつ考えないでたどり着けるはずだ
車にエンジンが掛かり順調に走り出す
今日の夕方には戻るはずの家が
バックミラーに遠ざかり
すぐに見えなくなる

僕は前方の交差点へ視線を向け直す
それでも、つまりは
なだらかに死への坂を滑り落ちていくのだ
サイドブレーキもフットブレーキも利かない
ギヤがどこにも入らない
順調に走り続ける車は
一方で感情のない悪夢を見ている

意識は冴えている
職場に着けば親切で美しい佐伯さんがいて
今日で三件の契約の事案が承認されるはずだ
それでも、やはり
なだらかに僕は人の谷間を滑り落ちている
やがて僕は
人の間の谷底で孤独な死に嵌まり込むのだろう

昨日はカーステレオからビッグバンドジャズが流れていた
今日はスイッチが切れている
僕にはどんなレクイエムも不要だから
切っておくのだ


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