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世界的なジャズ・サックス奏者Jerry Dodgion(ジェリー・ドジオン)のこと

2023年2月17日金曜日、世界的なジャズ・サックス奏者Jerry Dodgion(ジェリー・ドジオン)が天国に先に行ってしまった。ここ1年くらい、妙にジェリーのことを思い出すことが多くて、何だか予感はしていたのだ。今年で90歳だったし、いつその時期が来てもおかしくなかったけれど、実際にその日が来たら、息が止まった。

これを書いていても、涙が、溢れるように出てくる。少しずつ出るのではなく、バッ〜とたくさん出てしまう…。年齢から考えたら当たり前でも、大事な人だったから、先に逝ってほしくなかった。

これは多分ヴィレッジ・ヴァンガードの楽屋で。この頃Jerryはもう80代だったけれどすごくお元気だったので、いつでも会えると思い込んでいた。だから一緒に撮った写真がほとんどない。

Jerryは「あらゆる場所で演奏していた」ものすごいスターだった

Jerryはジャズのアルト・サックス奏者ならみんな知っているであろうスターだ。私もジャズ史でJerryの活躍は知っているけれども、文字で活躍を読むだけでは現役時代のJerryの凄さはどうにも分かりづらいらしい。

先輩たちによると文字なんかで歴史を読んでも分からないくらい「ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる人と演奏していて、本当にもう押しも押されぬ第一人者だった」らしく「本当に本当のReal Deal(まじで凄い人)」だったと教えてもらった。

特に「ビッグバンド・ジャズ」という大人数形式のジャズで「リード・アルト・サックス」という大事なパートを演奏している人にとっては、スター中のスターだ。

Jerryは私が10年一緒に仕事をしていたThe Vanguard Jazz Orchestra(VJO)の前身「Thad Jones and Mel Lewis Jazz Orchestra」スタート時にメンバーだった人で、後にリード・アルトをつとめた。スタートはなんと1966年2月!当時伝説のこのバンドに参加していて、その日のことをありありと覚えている方なんて、私がVJOと仕事し始めた2009年にはすでにもうほとんどいなかったから、JerryがVJOのライブに遊びに来てくれると、みんな彼の周りに集まって、当時の話を聞かせてもらっていた。

https://youtu.be/oQgOcuqoQGM?t=1135

これは2016年のバンドの50周年の記念ライブ。このリンクをクリックしてくださるとJerryのインタビューが(英語)、25:00あたりからは84歳にしてこの演奏?!という驚きの演奏が見られます。

日本でJerryの演奏とレクチャーを聴けた奇跡


実はJerryとは日本で1つ、ミラクルを達成している。

2012年のVJOの日本ツアーには、Dick Oatts(今現在のリードアルト)が参加できなくて、さてこりゃどうしたことか?!となったときに、当時のリーダーJohn Moscaが「Jerryに声を掛けてみないか」と言い出して、なんとこれが実現してしまったのだ。

この時Jerryはもう80歳か79歳だったので、体力的に大丈夫かしら?!とみんなとっても心配したのだが、Jerryは行くと決断してくれて、私たちは一緒に日本ツアーに出かけたのだった!

これがJerryととても親しくなるきっかけになった。Jerryは西海岸だったのだけど、まさに西海岸の太陽のようなホカホカの暖かさがある人で、何があっても動じない人で

ここだけの話だけれど日本ツアーの集合時間に1時間遅れていらっしゃって、みんなめちゃくちゃ心配したのだけれど、結局、超まんめんの笑顔で1時間後に、おはよう〜にこにこ〜〜といらっしゃったので、みんなズッコケた!というのが良い思い出。

会場ビルボードライブ東京にて。
サックスセクションをリードするJerryだけでなく、もちろんソロを取るJerryも
フルートでソロを取るJerryも(しかも奥はJim McNeely先生)
指揮するJerryまで見られた。この2012年のツアー、本当に奇跡だったなあ!
ツアー中の写真は全部、京都在住のフォトグラファー逢坂憲吾くん撮影。東京にわざわざ出向いていつも撮影してくれていたんだよなあ。

ワークショップでも超元気に様々な智慧と音楽への愛をシェアしてくれた。

楽しそうに話してくれるJerryを見つめる10年前の私。あと10年しかJerryと一緒にいられないなんて、このときは知るよしも無かった。大事に時間を過ごそう!とせめてこの時から思えていて良かった。当時の私、偉いよ!
終演後、追加の質問が途切れない学生さんたちと、その通訳をする私。

口癖はFun Trying

Jerryの口癖で忘れられない言葉がある。Fun Trying(楽しく挑戦する)という言葉。

私がいつも、頑張っても頑張ってもまだ上手に作曲出来ていない気がする、なんてことを言っていたからかもしれないけれど、Jerryは私にはいつもFun Trying(楽しく挑戦!)と言ってくれた。

去年9月に、米国日本人医師会の50周年記念パーティでの演奏をご依頼いただいたとき、新しい曲をプレゼントしたいと私は思って、Jerryのこの口癖Fun Tryingをタイトルにした。仲良しのSteve Wilsonお兄さんに「Steve,Jerryの口癖のファン・トライングって言葉、あれでSteveって曲書いたことある?もし書いてなかったら私書いてもいい?」と聴いたら、僕書いてないよ、いけいけ、書け書け!と言われたので、そのまま名付けて。パーティで演奏したら来場者のみなさんは、とても喜んでくださった。

Jerryにはこの曲の報告を結局できないままだった。Jerryと親しかったJohn MoscaにJerryに捧げる曲書いたんだけど、と報告はしたのだけれど、その時すでにJerryはそんなに元気ではなかったようで、直接会えなかったのが寂しいけれど…きっと天国に行った今ではなんでも見えているだろうから、逆にこの曲の楽譜も見てくれているかなあ。

このD7の小節が、この曲の肝なんだけど、天国にまでこの箇所が見えているといいな。

2011年4月の東日本大震災のチャリティーコンサートにも参加してくれたJerry

今回Jerryを失って悲しすぎて、私は帰宅してからずーっと過去のアルバムをたぐって、Jerryの写真を探してしまった。すると驚いたことがひとつ。

2011年4月にVillage VanguardとVanguard Jazz Orchestraが共同開催してくれた東日本大震災へのチャリティーコンサートにも、Jerryが参加してくれていたことに気づいたのだ。

私はこの時、震災を経験した直後でショックすぎて、Jerryがいてくれたことを忘れていて。今写真を見たら、Rufus Reedさんも参加してくれているじゃないか。

Jerryはこの時、すでに79か80なのだけど。ありがたいことだな。日本の皆さんに少しでもJerryを近く感じてほしいので、写真を少しシェアしておきたい。

JerryとRufus。ルーファスもThad MelバンドのOBだから来てくださったんだろうな。Thad Mel〜VJOのOBOGがこの日は本当にたくさん来てくださっていた。
以下3点撮影はCristian Doblesさん。
私は着物を着せていただいて、イベント開催のお礼を言いにNYまでやってきて参加した。これはNY1という地元のTVの取材を受けるためにリーダー2人と立ち位置を決めている写真。
ジェリーは左から2番め。日本のために出てきてくださったのか。

誰かなくなると英語ではRIP(Rest In Peace-平安の中でお休みください)と言うのだけれど、80代になってもずっと活動的だったJerryが休むわけがないだろうと私は思っている。

休むのではなく、ThadやMelや大事な仲間たちと再会して、思いっきりジャムセッションしたり、天国でビッグバンドを作って活動したり、していてほしいな。

取り留めのない徒然日記になってしまったけれど、Jerryとの思い出をどうしても書き留めておきたくて。

今回Jerryを失ったことによって思ったことが本当にたくさんあって。決意したこともいくつかある。そのことをまた投稿するので、皆さんが読んでくださったら嬉しい。

それと、この機に皆さん、Jerryの音をたくさん聞いてほしいなと思う。1966年のThad Melバンドが出来たときの音源を聴きたい方は、こんなアルバムがリリースされているので、こちらを是非聴いてみて欲しい。

私は3000字ほどのライナーノーツを日本語で提供しているので、日本版をよろしければ … と思ったらアマゾン初め、売り切れのサイトが多いみたい…中古で是非見つけていただければ!

このアルバムにJerryが書いてくれたサインを最後に載せようかな。Jerry、いつか再会出来る日まで、天国で元気で!


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