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俳句で味はふホタルイカ

 富山方言で「まついか」と呼ばれ、滑川(なめりかわ)では1585年にすでに漁獲されていた記録が残るホタルイカがこの名を与えられたのは、1905年(明治38年)渡瀬庄三郎博士によってであり、東京大学教授だったこの学者の名前は学名Watacenia sintillansとなって記憶されている。ホタルイカによく似た小型のイカにホタルイカモドキがいるが、両者はともにツツイカ目ホタルイカモドキ科に属し、どういうわけか科名は偽者の方に即して付けられている。

 産地として富山県が圧倒的に有名だが、漁獲量としては兵庫県の日本海側(浜坂漁港)の方が多い。同じホタルイカでも富山県産の味は格別とされるが、実際にどれほど違うものなのかは、ホタルイカ初心者のまっさらな心と舌で検証した。

ちなみに富山のホタルイカがおいしい理由にはオスメスの差が関係している。一般にホタルイカのメスは産卵に向けて栄養を蓄え濃厚な味わいになるが、富山ではかなり沿岸に近い場所で産卵に来たところを獲るため、網にかかるほぼ全ての個体がメスである(それでも混ざってしまったオスは取り除いて出荷するようだ)。また、富山の内湾は急な高低差により普段の生息地である深海から産卵場所である浅瀬までの距離が短いため、そこにたどり着くまでに栄養を取られないことも一因らしい。
 ボイルされて流通するホタルイカの下処理はいたって簡単で、目玉と背骨を骨抜き等で外し、あとは好みの味で食べればよい。

  目玉二個背骨一本蛍烏賊 出口善子

「いたって簡単」と書いたが、とはいえ十匹二十匹と細かい作業をするのは面倒なもの。レントゲン写真のように骨格の浮き上がる透き通った生ホタルイカの美しさを謳った句なのだろうが、漢字のみのイガイガした感じにはこれをいちいち取り外す面倒くささが滲み出ているような気もする。ところがところが!

  プチプチと蛍烏賊の目歯に応ふ 久保壽子
  
と、むしろおいしそうに目玉を食べる人もいるらしい。少なくともボイルだとただ硬いだけの気がするが、生の食感なのだろうか。

  蛍烏賊目玉も墨も食うてけり 辻桃子

ここまでくると、ホタルイカのサイズだからこそ、イカを丸々一匹食べてしまうことへの感動になっている。クジラが人を食べるようにして人がイカを喰らうことへの戸惑いや、ボイルホタルイカの目の試食は以下で。

余談だが、口ばしも取り除くよう勧める向きもあるけれど、実際には食べてそこまで気にならない上、慣れない手つきでそれをやると、むしろ足を一、二本引っこ抜いてしまうリスクの方が大きい気がする。

  さびしさが焼きころがして螢烏賊 能村登四郎

いまいちつかみどころのない句だが、産卵のために最後の光を輝かせて内湾に入り死ぬ儚さ、後で出てくる恋の連想も相まって、ホタルイカはどこか寂しさを醸すのだろう。まだ焼いて食べたことはないが、醤油でもバターでも合うらしく、丸々としたおいしそうなホタルイカに「焼きころがす」という表現はぴったりだ。けれど「さびしさ”が”焼きころがし”て”」という上五、中七の助詞は、「さびしさ」そのものが独立して手持ち無沙汰にホタルイカを転がしているような滑稽さ、自分の落ち着かない心(?)をどうするでもなく「焼き転がしている」様子をイメージさせる。「して」は切れと言っていいのかよく分からないが、一人寂しく所在なさをひらつかせる心があり、そこにホタルイカを重ねるようにして取り合わせた、ぼんやり二層になっている句と読むこともできるように思う。

 食べることについてばかり書いてきたが、ホタルイカは見ても美しく詩情を誘う生き物である。有名なのは何と言ってもホタルイカの身投げで、産卵に来たホタルイカが青く発光しながら浜に打ち上げられる様子を、一度は自分の目で見てみたい。

  網引くや闇に瑠璃なす蛍烏賊 池田笑子

瑠璃は仏教の七宝の一つを成す青い宝石。網にかき集められて青光りするホタルイカがひと所にまとめ上げられる様子を詠んだものだろう。
 
  川水を恋ふとはあはれ螢烏賊 高野素十

ホタルの連想から恋に引きつけられることも多いようで、例えば高野素十のこの句では、ホタルイカは川の水に恋して寄ってくることになっている。

 ホタルイカのじんわりと印象に残るイメージ、そこにちょうどいい文字数であることも加わってか、取り合わせにもよく使われるようだ。その中でも面白いと思ったものを三句。

  ほたる烏賊出そめし木々の芽も育ち 鈴木真砂女

出始めの「木々の芽」との組み合わせ。どちらも春を感じさせるが、ホタルイカの方は死期が近く、芽「も」と言いながら実際には生命と死のコントラストがある。
  
  蛍烏賊夜汽車蠍のごとく発つ 宮武寒々

これはおそらくよりはっきりと、光と闇の対比が意図されているのだろう。プニプニして透明感のあるホタルイカに対し、硬い鋼でできた夜汽車、鋭い毒針を持つサソリのイメージが鮮烈で、ホタルイカのいる海を後にしてどこにいくのか知らないがとにかくかっこいい。

  螢烏賊ともる許嫁者の健啖 塚本邦雄

短歌で有名な塚本邦雄が俳句も作っていることは、今回初めて知った。「健啖」は聞き慣れない語だが、「盛んに食べること」という意味らしい。ホタルイカの青光りと許嫁者の食いっぷりの組み合わせが独特でなんとなく可笑しい。その可笑しさがどこから来るのかと考えてみるに、「ともる」というひらがなの動詞の柔らかさと、「健啖」というどこか厳めしい漢語の名詞の、どこか噛み合わない感じだろうか。許嫁者が女性だとすればその「健啖」というのも一般的なイメージにやや逆らっており、ホタルイカが美しく輝いているのに目もくれず食べることにばかり気を取られるほどの食欲。何より、ホタルイカを食べることについて散々語ったこの文章の立場からすれば、とりあえずそのホタルイカを取ってきて食べようよ! と言いたくなるが、まあ、さすがにそれはこの句の意図するところではないだろうか。

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