代わりの男はまだ来ないから
潰レポ。
発達障害者が仕事にやられてダメになるまでのレポート、である。つくれぽみたいに言うのをやめろ。
今回は珍しくタイトルに引用している歌詞の解説をしておこうと思う。今回も相変わらず筋少だ。
「代わりの男」というめちゃくちゃゆったりした、割と短い曲がある。
ゆったりした曲は基本私の好みではないのだが、オーケンの歌詞が載っているとなると話は別だ。
夜が明けたら 僕の代わりが 待ち合わせの この駅に やってくるはず
ねえ君 うまくやりなさい 悲劇的な詩を歌って おどけていれば だれも気づかない
昔えらい人が 娘を刺した この駅で
僕は 待ってるから 夜がもうすぐ明けるよ
ねえ君 代わりの男 僕を早く休ませてよ
星も帰り始めて 代わりの男は まだ来ないから
こんな歌詞だ。これで全部。
どうにも自分の人生に疲れたとき、誰か代わってくれよとつい思ってしまう心情、だけどそんな「代わり」が現れるはずもなく、という曲なんだと思う。本来は。
でも私には確かにずっと「代わり」がいた。幼児のような私に代わって、社会生活をそれなりにうまくこなしてくれるほうの私。少し二重人格的かもしれない。
「代わり」はいつもいてくれるわけじゃない。家に帰ると消えてしまう。でも仕事の場面や他人の前になると、どこからともなく急に現れて、全部うまくやってくれる。
うまく、と言っても「代わり」もせいぜい高校生くらいの歳だ(と感覚的に思ったのだが、確かに実年齢に2/3を掛けると17歳だった)(発達障害者の精神年齢は実年齢の2/3程度だという噂がある)。それなりに失敗もする。
一人親家庭で、働きに出ている親の代わりに子守りをしなければならない苦労人の女子高生みたいな絵面だ。
そんな「代わり」に負担をかけすぎたのかもしれないな、と今なら思う。壊れてしまった「代わり」だったものの残骸は、倒した敵キャラのように薄れて消えてしまった。また発生するのだろうか?
思えば、夜が明けて仕事の時間が近づいてくるのに「代わり」の気配がしないことが、ちょうど1年前ぐらいから少しずつ少しずつ増えていった気がする。
それはちょうど職場が大きな方向転換をし始めた時期と一致する。この方向転換はあくまで計画的なものだったが、途中でコロナの邪魔が入り、全世界が大きな方向転換を余儀なくされた。
当然、職場もいろいろとそのとばっちりを食った。元々手探りで事を進めていかないといけないだろうとは言われていたが、その手に野球のグローブでもはめられてしまったかのようだった。
それでもこの秋までは、まだ「代わり」はそれまでと同じように持ちこたえていた。
職場がひとつのターニングポイントを迎えたころから、仕事をしていてわけがわからなくなることが増えた。
初めてやる種類の仕事だというのも大きかったが、いつもの「代わり」ならもうちょっと状況を読み解けるはずだった。
子守り役のいなくなった私には、忙しなく動き回る同僚と目まぐるしく変化する状況がまるで魚の群れのように見えた。
私と世界の間には、水族館ご自慢の分厚いアクリル板でできた水槽があった。わずかに不自然な屈折率。歪みをなるべく抑えてあるんですよ。
私も魚の一匹となって来館者を出迎えなければいけないはずなのに、透明な壁に隔てられ、人工の海はあまりに遠かった。
ただ仕事場に来るだけでは「代わり」は現れなくなった。仕方がないので幼児のほうが仕事の真似事のようなことをする。
人に話しかけられると「代わり」が急にやってきてそれなりの受け答えをしてしまうのだけれど、やはりそのうち社内の人相手には現れないことも出てきた。
年末が近づいてくると、もうお客様の前でしか「代わり」は出てこなくなった。その代わり、出てきたときはほぼ完璧に仕事をやり切った。
なんやかんやでどこで一番粗相をしてはいけないかはわかっているらしい。
だんだんとミスが増えて、というような潰れ方がきっと人間典型的なのだろうが、残念ながら私は非典型的人間だ。潰れ方すら非典型的な経過を辿るとは知らなかった。
思い返せばたしかに多少のやらかしもあったが、周囲が心配になるほどの壊滅的な感じにはなっていなかった。
結局、年明け少ししてある日、身支度の仕方がよくわからなくなって出社できず、しばらく休ませてもらうことになったのだった。我ながらすごい理由だ。
その当日が一番状態としてはヤバく、普段の口下手に輪をかけて喋れないというか、話そうと思っても全然文章が組み立てられないというような症状もあった。
PCやスマホで文章を打つことだけはできた。さすがに言語活動の中で一番得意なだけある。ちなみに文章を手書きで書こうとしたらそれも潰れた直後はできなかった。
前回潰れたときは鬱がひどかったものだが、今回気分はどこまでも平坦だ。
数日積極的にダラダラさせてもらい、とりあえず服の着方も思い出し、書いたり話したりも一応できるようにはなった。
途中で、今ものすごく職場が忙しいはずだというのを思い出した。前から極限状態だったのに。大戦犯だなあと思った。でも何人かがもったいなくも優しい言葉を掛けてくれた。
もうとっくに働けるまでに治っていてサボっているだけのような気もするが、試しに買い物しようと思うとわけがわからなくなって何も買えない。
ご飯の注文とか、おやつを買う位のことならまだできるが、服や雑貨を見たときにいつも動いていた頭の部位が黙ったままのような感じがする。
分厚いアクリル板は私を繭のように取り巻き、相変わらず世界は遠い。
またこれは外出に連れ出してくれた人がいたおかげでわかったことだが、私は他人と一緒に行動しているとき、率先して例えばエレベーターのボタンを押したりするよう心掛けていた。普通なら。
そういう気を回す行動全般ができなくなっていた。これも「代わり」がやってくれていたのだろう。
他にも歩き慣れた道でどっちに行くべきか一瞬迷うことも増えたし、これで接客業に戻るのは割とまだ危ないような気もする。
潰れた引き金が何だったのだろうと考えると、ふっと気が緩んだことだったのかもしれなかった。
潰れる少し前、職場内でとてもえらい位置の人に話の流れで発達障害をカミングアウトしたら、予想外にものすごく理解があったという出来事があった。ありがたいことだ。
こちらの苦しみを想像しようとしてもらえた。環境調整をしていこうと話してくれた。それは心強いことだったけれど、もう「代わり」の足元には踏み出すべき地面がなかった。
崖を走り抜けてから間を置いて急に重力の存在を思い出したトム・キャットのように、いつの間にか限界を超えていた「代わり」は落ちて、壊れた。コミカルな効果音は鳴らなかった。
誕生日が来ても、年が明けても、世紀が変わっても、別に効果音が鳴ったりはしない。そんなこと小学校に上がる前くらいにはとうにわかっていた。
なのに、限界になっても音とか鳴らないんだ、と思ってしまった。この世界は人が壊れたくらいでは別に何の音も鳴らしてくれやしないのだな。
何が壊れたら世界はブーと鳴るんだろうな。