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こんにちは。

【人生は自分でコントロールできる、人生を楽しめる大人を増やす】

『強み』『好き』から『心からやりたいこと』を引き出し
“商品構築から販売の自動化”まで売れる仕組みをトータルサポート。

あなたの魅力、経験を最大化してお金と交換/マーケティングディレクター
玉城美根子です。

私は大阪市在住で大好きな自宅で
自由にオンラインでビジネスをしています。

現在、
●『強み』『好き』から『心からやりたいこと』を引き出す
●0からの副業・起業のビジネス構築サポート
●インスタカウント総フォロワー1万人

をさせていただいています。

そして、私が提供する週末起業プログラムは

・コンサルの経験なしから、
3ヶ月で月3000円〜1万円のクライアントを15名獲得。
 (S.Tさん・30代・男性・会社員)

・「何がしたいか分からない。得意なこともない」
ということころから、映像制作がやりたい、とスタート。
1年で副収入を100万円稼ぐようになり起業。
 (S・Iさん・30代・女性)

・3年後にスタートしたいと言っていたコーヒー関連のビジネスを、
取り組み後、半年でスタート。
会員制コーヒー通販開始後、無償で両国駅前にカフェの店舗を
確保して、営業をスタート。
現在は、資産運用アドバイザーとして独立。
会社員時代の3倍の収入を得る。(30代・Sさん・男性)

など

起業初心者からでも
原理原則を大切にし、一人一人の強みを大切にするから
成果が上がりやすいプログラムを提供しています。

今でこそ起業して、
自分の人生を大切に自由な活動をしていますが

しかし、

過去の私は、自由の無い、人生すべてが仕事のように生活する
会社員でした。

そんな私がなぜ起業をして、現在に至るか
その経緯をお話させてくださいね。

【私の生い立ちと人生観】

私は大阪市に生まれました。
当時は、家族4人で10畳の長屋に住むくらい
決して裕福な家庭ではありませんでした。

お友達のお誕生日会に招かれて
私一人が素敵なプレゼントを持っていくことができず
辛い思いをすることもありました。

なんで私はこんなキラキラした家庭に
生まれてこなかったんだろう?

ずっと、お金が無いことの不安や不満を
子供ながらに感じていました。

だから、

早くいっぱいいっぱいお金を稼いで
友達のような素敵な家に住みたい。
そんな思いは人一倍強かったと思います。

そして小学校5年生の頃
両親の離婚のゴタゴタに巻き込まれます。

毎日のように繰り返される喧嘩

の心はどんどん疲弊していきました。

そして、

大会に出るほど頑張っていたそろばん塾も
行ったことにして、さぼって遊ぶようになりました。
子供の心では処理できない現実を目の前にして
当たり前の毎日が過ごせない。
もうどうでも良くなってたんだと思います。

その頃の私は、
してもいないイタズラやイジメを
私がしたことと担任の先生に決めつけられ
呼び出されることもありました。

きっと、悪い表情、かわいくない子供に
なっていたからだと思います。

しかし、そんな私の異変に気付いて
声をかけてくれた一人の先生がいました。

『自分の人生は自分のものなんだから、
何があっても大切にしなさい。

ムスッと過ごすよりも、笑顔で過ごした方が
自分のために得があるんだよ』

親のことに引っ張られて
自分が損する行動をわざわざしている。
そんなことに気づかされました。

そうすると
笑顔が素敵な友達がいることに
目がいくようになりました。

笑顔って良いな、人を幸せな気持ちに
させることができそう。
先生と友達がそう気づかせてくれました。

だから、

離婚をして複雑な環境の中でも笑顔を忘れず
楽しく生活ができ、今でも笑顔で過ごすことを
大切にしています。

そして、そんな先生の導きのきっかけで
学校の先生になりたいという夢ができました。


しかし、

それを父に話したら
『女は結婚して家庭に入ったらいいんや!
先生になるとかえらそうなこと言うな!』
って本気で怒られたんです。

私の夢は全力で父親に否定されてしまったんです。
私は先生になる夢を持ったらダメなんだ。
モヤモヤとショックの中、夢は終わりました。


しかし、
中学校2年生の時に面白い一人の先生に出会いました。
理科の先生だったのですが

『俺は理科が嫌いだったから理科の先生
になったんや。嫌いな人の方が苦手な人の気持ち分かって
教えられると思ったからな』

なに~!?嫌いな事を教える!?
それってめっちゃ自分は大変やん!

その時、
意外性と衝撃とともに、自分は英語の先生になろう!
と影響されてました。

なぜなら、
当時の私は英語がとっても嫌いだったからです。
中学1年時の英語の先生が苦手だったせいもあって、
まったく興味が持てずに2年生になっていた時でした。
そこから先生になる夢は復活しました。

幸いなことに
もう父親と住んでいなかったので
否定された過去は関係の無いことに
なっていました。

それから
高校進学のタイミングがきます
陸上競技での成績と学業成績が認められ
先生から海外留学のあるコースのある私学高校の
特待生の推薦提案をもらいました。

家庭の事情もあったので、
私の進学予定はそこそこの公立高校のつもりだった
のですが、先生の強い推薦もありそのコースを目指
してみようと決めました。

海外に行くことは英語の先生になることにも
繋がると思ったからです。

しかし、
金銭的な不安が消えませんでした。
当時の私に1年間の海外留学があることの金銭的負荷は
しっかり想定できないものの、大きな影響があるに違いない
ことはイメージできていました。

どうなるんだろう?大丈夫かな?
親に迷惑かけるんじゃないかな?
この選択は間違っていないのかな?
決して前向きな選択にはなっていませんでした。

そんなある日、
急に英語だけの実力テストをさせられました。
あとから、それが推薦のための実力テストだったと
分かったのですが、その点数がなんと推薦対象
にならない残念な点数だったそうです。

想定していた英語留学コースの推薦が取り消され、
私には、行く予定ではなかった私学で陸上競技を
継続するだけという内容だけ残りました。

さらに

優待性でもなくなって、私学に行く・・・
母子家庭の私には厳しい現実が突き付けられました。

母親に迷惑をかけてしまう。どうしよう。

お金をかけてまで
陸上競技で全国大会を目指せる高校で
本気で続けたいのだろうか?

なんで、こんなことになっているのか?
なんで迷っているのか?

中学生の私には、そこから公立に切り替える
という選択を考えることは出来ませんでした。

もはや、何が正解かすら分かりませんでした。

しかし、

もう後に引ける状況では無いことだけは
先生のプレッシャーから感じ取れ、
結果的に奨学金を受け私学の高校に進学
することにしました。


高校では勉強より部活が中心となり
全国大会にはリレー選手の補欠で連れて行って
もらったレベルにはなりましたが、個人では望んだ
結果は得られず、ケガばかりの選手生活は非常に
辛い思い出ばかりです。

しかし、

厳しい上下関係と練習を乗り越えた経験は
人生を歩む強い自信につながっています。

そして、

私学に通うことにより家庭環境の違いを強く感じ
劣等感からハングリー精神が身についたと思います。

3年間引退試合の受験前ギリギリまで部活を頑張り、
受験勉強はそこまで頑張ることはしなかったので
無理なく行ける範囲の中で英語教員の免許を取れる専門
の科目がある短大を選択し合格し無事進学しました。

そして、ここでも奨学金を受け進学することとなります。

しかし、

奨学金を受け、授業料半分を自分で支払う約束までして
進学したにもかかわらず

高校3年間休みなしで部活ばかりしていた反動で
自由を手に入れた私は、授業料や生活のためにバイトは
頑張るけど、

授業はサボり、出席しても態度が悪く授業中に
立たされるほど不真面目な学生生活を送っていました。

しかし、
そんな中でも教員科目は一回もサボらずに出席し
教員免許に必要な教育実習の時がきました。

実習中、担当教官は尊敬できる先生に恵まれ楽しく
過ごしていました。

しかし、

ある日一人の先生から嫌がらせをされました。
それは、私が大切にしたかった先生のイメージを壊す
経験だったので実習終了後には先生になりたいという
想いは一気に冷めていました。

そこをきかっけに、
みんなと同じように普通に企業に就職した方が
良いんじゃないか?と考え始めました。

しかし、

教育実習に行って就職活動をしていなかった私に
活動の時間はあまり残っていませんでした。

その時、
担任の教授の言葉がヒントになります。
『時間を切り売りして、時間単価に上限がある職種
についてはいけないよ』

なるほど
能力や仕組などを使って収入を上げることが
できる働き方と、必ず上限がある働き方がある。

当時の私はそこまで深く理解できなかったものの
とにかく何も出来ないスタートなんだから、成長し
収入を上げられる可能性のある環境を選ぼうと
考えました。

その時すでに就活の残り期間がギリギリ
当時はバブルが弾けた後で就職氷河期真っただ中。
就職浪人になったらヤバイ。

とにかく就職することが最優先と決め、
地元の飲食チェーン運営企業に幹部候補生として
入社を決めました。

そこを選んだ理由は、人材育成を強化する1期生。
将来の幹部候補を育成するという教育制度を計画
しているという人事部長の熱い言葉への期待でした。

というのも
この時の私には目の前に大きな現実がつきつけられ
なれるかどうかわからない先生という理想どころでは
無くなっていました。

先生になることより早く収入を上げたい
高校分と短大分の奨学金借金を早く終わらせたい。
返済が完了するまで、私の貧乏は終わらない。

なぜなら、

卒業したら奨学金の返済がスタートするという事実。
明細金額と返済期間を見て、稼ぎが少ないことが
想定できる若い私には想像以上に重たい借金でした。

だから、

いち早く収入を上げていくにはどうしたら良いか?
という会社員として戦略的にステップアップすることに
切り替わっていた私に『人材教育の制度』はぴったり
だったのです。

しかし、

現実は厳しいものでした。
人材育成の制度は古参の幹部からの反対により
1年目の途中で頓挫していまします。

入社半年でこの企業にいる理由は無くなりました。
店舗運営をする中で企画やモノづくりに興味が
出てきており、元々化粧品が好きだったので
どうせだったら、化粧品の企画ができたらいいなと
思うようになっていました。

とにかく、
自力のスキルアップで出来ることをしようと
気持ちを切り替え、仕事しながらネイリストの
資格を取りました。

その結果、
3年務めた1社目を退職し憧れの化粧品メーカーに
営業系のインストラクターとして転職することが
できました。

しかし、また現実は厳しいものでした。
そこは絵に描いたようなブラック企業だったのです。

ただ、私はここがゴールの企業では無かったので
次に向けて
マーケティングや営業の基礎を学び次に向かうと
気持ちを切り替えました。

そして、

そろそろ転職をと考えていた5年目に
タイミング良く新規事業として
化粧品事業を立ち上げた直後の増員募集があり
神戸にある上場企業のマーケティング担当として
思い描いたステップアップの転職ができました。

ブラック企業から転職した私にはオアシスのような企業で
仕事は忙しくても充実していました。

3社目にしてついに理想的な環境にたどりつきました。


そして、

そこからは順調に若くして課長になり、
その後運よく部長として化粧品部門の責任者を任される
までになっていきました。

どんどん収入は上がっていき、気になっていた奨学金の返済
は全額早期完済できました。

そして、

夢のマイホームを購入し、母親への親孝行もできる自分
になっていました。

お金に困ることはまったく無くなっていきました。
ある程度の金額までであれば買いたいときに買いたいものが買える。

子供の頃に無かった日常が当たり前になっていました。
周りからはキャリアウーマン一筋。
順風満帆にみえていたかもしれません。

しかし、

収入が上がっていくと、当たり前ですが
責任と重圧がどんどん上がっていきました。
いつの間にか休みの日は仕事の準備期間で
仕事のための人生になってしまっていました。

私生活を満たすための仕事だったはずが
逆に私生活を無いものにするくらいの存在に
なっていました。

さらに、

企業の業績は右肩下がり、業界の展望も厳しい環境。
見渡すと部門一つでは解決できない課題がばかりです。

責任者でも単なる会社員。
企業の方向性に左右されます。
結局、自由な選択肢が無いことを痛感していきます。

そのうち、

何度も円形脱毛を繰り返す。

眠れない、眠っても疲れが取れない。
休みの日は外出する気力も無くなっていく。
心が不安定、身体も絶不調が日常的に。

しかし、

部門の責任者として弱音を吐ける場所はない。
なんとしても、与えられた目標を達成しなければならない。

やれて当たり前の世界。
責任感、負けられない、逃げたらだめ。
どんどん自分を追い込んでいく。

そんな時でも、

部下が自分のコーチングにより成長し
成果を上げていく姿には喜びと満足感を
感じていました。

そして、

コロナ禍の中、テレワークが当たり前になり
自宅で仕事をするようになると自分のことを
振り返る時間ができました。

というのも

私は、通勤に往復3時間使っていたんです。
昔は勉強の時間に使えていましたが、

最近では疲労から寝るだけの時間に
なっていました。

このままの働き方でいいの?
これが望んでいた人生だったのかな?

一生懸命仕事をして収入を上げて来たのは何のため
だったんだろう?

今はもう子供のころの悩みや問題は無くなっている
んじゃないの?

それなのに、なんで我慢しているの?
会社との距離や時間の使い方、
自分の人生に目を向けるようになりました。

どうやら、
この先の人生に必要なものと、必要じゃないものがある。
この機会に整理した方が良い時だと思いました。

そこで、

平日、土日のプライベートの時間は全て学びの時間に変えました。
投資系、ビジネス系、マインド系のセミナーや書籍をこれでもかと
いうレベルでインプットし、それをアウトプットし整理していきました。

学び始めるとステップアップするために学んでいた時代の
ことも思い出しました。

そうか、

積極的に学ぶことも、挑戦していくことも
目の前の課題に追われて忘れていたことに
気がつきました。

だから、

今の問題状況は
このステージはもう十分でしょう。
次のステージに行きなさいと伝えるために
起きているような気がしました。

家を買って満足して、親孝行したつもりになって、
自分の自由を無くしている場合じゃない。

学びを深める中で自分と向き合い、
自分の描いていた目標を再確認しました。

50歳でアーリーリタイア。
なんとなくだったこの目標にもっと向き合うことで
本当にやりたいことが見えてきました。

収入を上げるための人生は
貧乏を経験し辛かった子供の時の私に必要な
目的ではあったけど

今の私の目的はそうではない。
そう思うと『先生になりたい』と思った時の
ことや過去のことを振り返ることができました。

そうすると私自信が
人生の中で迷ったときに

その時に必要な『先生』の言葉により
人生をより良い方向に進めていくこと
ができていたんだと分かりました。

『先生』というのは仕事の種類としてではなく
自分がしてもらったように壁にぶち当たった人を
『何かに影響されることなく、自分の人生を大切にする』

方向に導くことができる人になりたかったことだと
理解することができました。

だから、

私の50歳でアーリーリタイアという目標は、
お金を気にすることなく、時間や組織(人間関係)に
縛られることなく、笑顔で楽しめる人生を過ごしていたい
だけなんだ。

そして

自分がそうありたいと思うように、
『何かに影響されることなく、自分の人生を大切にする』
そんなサポートがしたいということなんだと気づきました。

仕事もお金も
『自分の人生をより良くするための手段や道具』に過ぎない。
組織という箱の中にいたとしても
『いつでもその気になれば抜けれる自信』があれば
会社員という働き方も人間関係も大した問題ではない。

だから、

いつでも人生は自分でコントロールできる!
そんな、自信と笑顔に満ちた、人生を楽しめる
大人を増やしたいと思っています。

今のままで終わりたくない。

自分の人生は自分でコントロールしたい。
未来の準備として、自分の力で稼ぐ経験を積みたい。

副業・起業したいが、何が出来るか分からない。
という方の

『強み』『好き』から『心からやりたいこと』を引き出します。
“商品構築と集客から販売までの自動化”をサポートしています。

【じぶんの人生磨きマーケターへの想い】
私はマーケティングはビジネスを成功させるものだけでなく、
なりたい自分を作っていくためのツールだと思っています。
あなたとも繋がれる、助け合えるツールにもなると
思っています。

自分の人生をより良くしたい、新しいチャレンジがしたい
だけど今は自信がないという方は、
ぜひマーケティングの力を使ってください。

あなたの人生を磨き、自由に輝くあなたらしさを
支えるツールとなります。

私はこれからも1人でも多くの人が、自分の人生を大切にでき
笑顔で人生を楽しめるようサポートしていきます!

最後まで読んでくださり
本当にありがとうございました。

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