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お題「卒業式」

はじめに

こんにちは、こんばんは。
開いてくれてありがとうございます。

私は4月よりレンタル〇〇な人として、
事務所に所属して話を聞いたり、一緒に悩んだり、遊んだり、もしかしたらちょっとアドバイスしたり。
そんな活動を始めます。

もし「レンタル〇〇な人」を詳しく知りたい人がいたら"よもぎちゃん"か"公式サイト"を見てみてください。

お題「卒業式」

「レンタル〇〇な人」では、キャストがそれぞれブログをnoteにて綴っています。その中で毎週水曜にとある"お題"が出されていきます。
それに対しそれぞれキャストがどんなことを綴るのか、よかったら色んなキャストのnoteを読んでみてください。

さて、noteが開始されて初めてのお題になる今回は「卒業式」です。

私、小守みふゆは小学校から大学まで通いましたが、印象的な卒業式が2回あります。一つ目は中学校、二つ目は高校です。

小学校と大学は印象が薄いとかではなくて中高と比べると良くも悪くも(?)普通でした。楽しさの方が勝っていたかなと覚えている限りは思います。

もし卒業式で複雑な思いを抱えている方がいらしたら、読んでくださると嬉しいです。

中学校の私

実を言うと私は、中学校時代はいわゆる不登校児でした。
保健室ではなく、カウンセリング室があったので週に一回そこに通っていました。

ここからは少し暗い話をしますね。嫌だなって思ったら「中学校の卒業式」まで飛ばしてください。

不登校になった理由はよくある、女子グループの中で順番に回ってくるイジメ、というか仲間はずれゲームみたいなものでしょうか。

はじめは少し中学校に入ってからすぐ、カーストトップの子が地味な子を委員長にしようとみんなを囃し立てた時からかな。
そこからグループ形成が始まって、ひとつのカースト上位グループができました。

その中である日起きたこと、「あの子最近調子乗ってない?」ってやつです。
その子はグループの中でも少し目立つ女の子でした。
その子とは部活も帰り道も一緒だったので、戸惑いました。
そして私が選んだ方法は、「学校ではみんなに合わせて、帰り道には一緒にいられるようにする。」ということでした。それが正しかったのか、今でもわかりません。

それがしばらく続いた後かな、今度は突然私が仲間はずれ、悪口も言われるようになってました。
前に一緒に帰ってた子は私と同じようにしてくれるかな。そんな淡い期待はすぐに崩れました。皆、自分が大切なんですよね。

何かあると、いつも誰かが助けてくれた。そんな私が誰からも見放されてしまったと感じたときでした。

きっと時間が解決してくれるということはわかっていたのだけど、長くて苦しくて、私の心はある日ポキっと折れてしまいました。
「行きたくない」母に告げたときのことはもうあまり覚えていません。
気がついたら私はずーっと部屋にこもっていました。
週一で通うカウンセリングも嫌だったなという感覚しか残っていません。

それから私は不登校になった子のサポート学校の紹介も受けましたが、結局行かずに約2年半どこにも通わずに過ごしていました。

2年半何をしてたかというと、覚えているのは、たくさん眠ったことと、VHSに録り溜めてあった「ちびまる子ちゃん」を見ていたこと。勉強に追いつこうとドリルをひたすら解いた時期もありました。
あと、これからの私を形成したのはきっと、この頃のネットサーフィン。まだまだ今よりも発達していないながらに、たくさんのコンテンツがありました。「おもしろフラッシュ」「夢小説」「個人サイト」「匿名掲示板」ネットは学校じゃ教えてくれないことをたくさん得られました。

まさか大人になったら自分がコンテンツを作る側になるとは。
あの頃の自分に大丈夫だよって、もし伝えるなら一言そう伝えたいです。

さて話は変わり、高校は昼夜単位制のチャレンジスクールとも呼ばれる学校を紹介され、そこに行くことを決めました。
決め手はなんだったかな、自転車で通えることと怖くなさそうって思ったからだったと思います。あとは学校に実際に見学に行ったときの直感。

そこに面接に行って少し試験を受けて無事合格しました。
中学校は確か卒業要件はなくて、卒業して進学することが決まり卒業式を迎えることとなるのです。

中学校の「卒業式」

不登校で過ごした中学校の卒業式、私は校長室で他の5人くらいの生徒と一緒に迎えました。たぶんみんなの普通の卒業式が終わった後のこと。

校長先生と担任の先生と、自分たちの親と。
まさか自分以外にも学校に行ってなかったり、卒業式に出られていない人がいるとは。思ったよりも人がいて驚きました。
そのほかに感じたことは、あまりなくて写真のようにその場の光景を覚えています。

多くの生徒はきっと私たちのことなんか知らなくて、寂しさや開放感や達成感とかいろんな思い出があるんだろうな、と思うとそれは少し羨ましかったです。

高校の私

中学校で心がポキっと折れた私は、高校への期待もなにもなく入学しました。勉強頑張ってどこか良い大学に入って、就職するんだって。
でもそんな私もすぐに変わりました。

入学早々に声をかけてくれた2人がいました。
そのうちの1人は、今でも普通に遊んでお互いの深い話をする仲になるなんて、その当時は思いもしませんでした。

高校はすごくすごく楽しかったです。
ちょっと不真面目に楽しんでいたくらい。
ほとんどの生徒が何か挫折や人間関係で一度悩んだ経験があるからか、思いやりのある人が多かったなと思っています。

バイトも始めて、学祭の実行委員になって、恋愛以外のいろんな経験をしました。笑

高校の「卒業式」

高校の卒業式は中学とうって変わって、あのとき感じられなかった楽しみとか、寂しさとかいろんな思いがありました。

そんな卒業式を控えた一週間前、私は学校にて学習成果発表会といった感じの最後のイベントで、友人と校内を巡っていました。
理科室で動物の展示を見ているとき、モルモットが慌て出したんです。
そしたら友人も私の服の袖を掴んで「ねぇ、揺れてる」って。

その日は2011年3月11日でした。

気づいたらもう教室中のものが動いていて、というか教室ごと動いていて。
あ、やばいなって思って。
とっさに母に「大丈夫ですか。私は学校にいるから大丈夫です。」とメールして、友人にも家族にメールするよう促しました。当時の私、グッジョブ。

その後は、大きな地震だったので、体育館に避難してみんなと過ごしました。いつの間にか通信はできなくなり家族とのメールも途切れ情報も入ってこなくなりました。
幸い自転車通学の私はすぐに帰宅許可が降りたのですが、家に帰ってテレビを見て驚愕。卒業のことなんて頭の中には1ミリもありませんでしたね。

その日から後のことはあんまり覚えていないのですが、卒業式は平常通り開催する連絡があったときは、心の底から安堵と嬉しさを感じました。
卒業式当日は何もなく開催されたこと、楽しかった日々を思い出すこと、先生たちが喜びを感じていてくれたこと、全てが幸せでした。

大学の入学式は1ヶ月延期してしまったのですが、卒業式も入学式もできない方もいた中、自分はとても恵まれていると今では思います。

今年の「卒業式」

今年はコロナウイルスで卒業式を中止したり特殊開催される学校が多いようです。
卒業式ってその学校の最後の思い出になるから、きっと複雑な思いを持っている方が多いと思います。

私には、こんなことしか言えないけど、
もし学生の子で見てくれている子がいたら、普通に卒業式に参加できることは幸せなことだと知ってくれたら、それだけでも嬉しいです。

それから今年、卒業式ができなかったという子がいたら、
卒業式はとても大切なものだけど、なくなったからといって過ごした時間がなくなるわけでも、無駄になるわけでもありません。
むしろなくなって辛いくらいなら、その学校生活がそれだけ幸せだったということ。

いつかこのnoteのように、
こんなことがあったよ「でも大丈夫だよ思い出話の一つだよ」と、人に話せる生き方を過ごし方をしてください。

このnoteを読んでくれたあなたの今後に幸多からんことを。

終わりに

すっごくかたくなっちゃった!
でも私はこんな風に人に伝えられるくらい成長できました。
私は強くもなんともないです。今でも躁鬱(双極性障害)と呼ばれる病気と闘っています。(このことは今後書きますね)
でも今は、いろんなことを認めてくれる人が増えました。教えてくれる人が増えました。

だから周りの人に支えられて生きています。

このことを書けたのも、よもぎちゃん(レンタル〇〇な人 代表)がきっかけをくれたから。
もし支えがないよ、辛いよって感じている方がいたら、サービスはこれからですが、私たちが味方になれたらと思っています。

よかったら、また読んでくださいね。

画像は大学生の卒業式。
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❄️小守みふゆ❄️

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