見出し画像

失うものと、再開や出会い。「ご縁」の別の話その2

早咲きの河津桜が咲き始めていた2月のはじめ、わたしは伊豆へ向かうために久しぶりの“ひかり号”に乗っていた。

その2日前に、師匠の携帯からの留守電。
「あら、珍しく大阪にきてるのかしら⁇」
なんて、録音されてた伝言を聞くと
「どうも、ながくなさそうなのでもし良ければ会いに来てほしい」
と、師匠のパートナーの声。

こんなにオロオロしてしまったことはない。

2日後、師匠の入院している病院に駆けつけていた。

正直、師匠の姿をみてかなり動揺したが悟られないよう笑顔で、でもたくさんは話せない状態で。
最後にしっかり手を握り合い、また来ますねーなんて言って。

結局それが最後でした。
月末にもう一度行こう、と思いながらかなわず、それから1カ月足らず、3月3日旅立ってしまったのだ。 
ご家族の計らいでわたしもほぼ身内のように一緒に送らせてもらって。

なんせ生徒のひとりなもので、知り合いもいないお通夜の席でどこからか「まみちゃんは…」という声が。
わたしも「あ、そう言えばエミさんって。」
ハッと振り向いて目があって、師匠のお互いのエピソードトークに登場していた者どうしが、初めて出会ったのだ。
(気が合って、今も時々約束してあそんでもらってます。なんで繋いだ本人がいないのかねーなんて冗談言いながら)

その後この出来事を境に、しばらくチャンスに恵まれず会えてなかった音楽仲間や先輩方に、続々と会う機会(20年ぶりのステージにも出させてもらって)が多発。

一番びっくりは、一緒に師匠に教えてもらってた長年音信不通の友人、その子には師匠の訃報を知らせなくては…どうしても連絡が取れなくて困ってたある日、なんとなんと‼︎
わたしの仕事場に、その子が突然現れたの‼︎
「おーい、久しぶり〜〜」
18年ぶりに‼︎
えー⁈奇跡やー‼︎

もうこれは師匠が繋げているに違いない。

そして盛大なる追悼ライブの舞台にも、その友人と一緒に厚かましく上がらせてもらって。
こんな素晴らしいステージに立たせてくれて先生、ありがとう。

せっかく繋げてくれた「ご縁」ずっと繋げていきますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?