見出し画像

数字は いいオモチャだとおもう

今日で、連続投稿が222日になるらしい。ゾロ目だ。なんかうれしい。
いい数、って思ったけれど、素因数分解したら2×3×37。なんか微妙。
216の方が、よっぽどいい数かもしれない。ちなみに、216は6の3乗。

こういう話をすると、ちょっと空気感があやしくなることがある。「計算は苦手」「数字を見ると頭がいたくなる」とか言われる。数字に罪はないのに、かわいそうに。

数字はオモチャだ、というのは、数をかぞえられるようになった子どもが、面白がって「いーち、にー、さーん」って数えるのが楽しいよね、って話をしたい訳じゃない。もちろん、彼らにとって、「初めて知った新しい概念」は、楽しい。文字に初めて出会った時と同様に、何かを知ることで、新しく世界が広がる楽しさがある。

そう言えば、先日出会った電車好きの子どもたちは、窓の外を電車が通るたびに大騒ぎをして、必ずのように何両編成か数えていた。それが15両の埼京線なのか、10両の埼京線なのか、という違いが、彼らには大事なのかもしれない。窓の外の電車をずっと眺めていたら、運のよいことに貨物列車まで走ってきてくれた。全部で26両あったそうだ。すごい。

まぁ、そんな風に、数字に出合ったばかりの子どもたちにとっては、ただ「数える」ことが楽しかったりする。数えることによって、全く同じ色かたちだった積み木1つ1つに、名前が付く。かくれんぼで目をつぶった時の時間の長さが決められる。確かに世の中のとらえかたが変わるよね。

そういう楽しみ、って、小さな子どもだけのものじゃない。それぞれの年齢や、それぞれの理解範囲に応じて、数字には楽しいことが沢山ある。

例えば、どんなに桁の数が増えても、それぞれの位の数字を足したものが9の倍数ならば、元の数字も9の倍数・・・って、小学校くらいで知った時、ちょっとお得情報を知ったみたいで嬉しい気持ちになった。数字には、そういう、分かる人だけが分かる秘密の面白さがあると思う。
そして、中学校になって、その「秘密」の証明をやった時には、推理小説で謎ときショーがはじまった時みたいな、嬉しさがあった。無事に証明がなされた時の気持ちよさは、伏線回収のよう!

私は、高校生以降は、数学の楽しさと巡り合うことができなかったので、私が楽しさを感じるのは、算数どまり、数あそびどまりなのだけれど、それでも充分に楽しい。今でも、車のナンバープレートを見ると、真ん中に「イコール」を入れて、左右が同じ数字になるようにして遊んでいる。10を作る人もいるかもしれない。数独とか、新聞に載っている数あそびパズルも好き。

数って、元はシンプルで、そして、足したり掛けたりして、自在に形を変えることができるから、いろんな遊び方ができるんだと思う。楽しいって思うものが持っている特性は、つみきや粘土や絵の具と同じ。

数字も、オモチャだと思う。それも、大人たちが、数千年かけても遊び尽くせない程のオモチャ。
そう思いませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?