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〈想定していない楽しみ〉に出合って欲しい

知らないことに出合ったときに、
「うわっ、何それ?そんなもの知らない!こわい!近づきたくない!」
って思うよりも
「わっ、何それ?はじめて!すごーい。もっとよく見たーい!」
って思えた方が楽しそうかな、と思っています。

知らないものは、こわい。
問題ないかどうか確かめてみないと不安。
見慣れないものは、まず様子を見てみる。
はじめてのものは、安易に食べない。

そういう慎重さは、本能的にはきっと正しいんですよね。
間違いもないと思います。
でも、間違いがないことを意識しすぎると、思ってもみなかった楽しみにも出合えないような気がするんです。

宇宙飛行士の向井千秋さんのインタビューを読んだときに印象的だったのは、〈宇宙の景色は、実は、以前から映像で景色を観ていたので、知っている景色をなぞるような感覚だった。一方、地球に帰ってからの重力の感じ方については、誰からも聞いたことがなかったし、自分で体験してみて、とても感動した〉というエピソードでした。

私たちは、そう易々と宇宙に行くことはできませんが、それでも、宇宙からの映像は、確かに多く目にしています。宇宙から地球がどんな風に見えるのか、よく知っている気になっているかもしれません。
宇宙に限らず、今は多くのことが映像や写真で見ることができるようになり、私たちは、自分で体験していないのに「知ったようなつもりになっている」ことが増えてような気がします。

そして、自分で何か体験する時も、「知ったようなつもりになっている」ことの中から選ぶ場面が多いと思うのです。旅行とか、映画とか、週末の過ごし方とか。「事前に綿密に計画を立て、想定通りの体験を楽しむ」という過ごし方が増えているらしい、と聞いたことがあります。

なお、「想定通りの体験を楽しむ」というのも、その人なりの楽しみ方であり、他者が勝手に否定するようなものではないよね、ということは言及しておきたいと思います。落ち着いて行動するために、自分で事前に想定することが必要なタイプの人もいます。その人からいきなり「事前に想定する」ことを取り上げてはいけないのは確かです。

それでも、やっぱり、想定もしていなかったことが起こるのって、楽しいよね、と思います。想定した通りの楽しみって、自分で想像できること以上にはならないんですよね。それに比べても、自分には全然思いつかないようなことが起きたら、きっと楽しい。

きっちり準備して、想定通りの内容を1つずつ確認するような生き方は、凸凹の少ない、歩きやすい道をあらかじめ調べていくような堅実さを感じます。一方、想定外の楽しみは、ものすごく急な上り坂だったり下り坂だったり、ものすごくきれいな景色だったり、川の中を濡れながらざぶざぶあるいたりするような・・・嬉しさとしんどさの振り幅が大きいですよね。がっかりすることもあるけど、嬉しいときはひときわ嬉しい。

新生活も同じかな、と思うんです。
学校でも職場でも、新しい生活が始まります。
今までとは違うことに沢山出合います。
「事前に想定しておきたい人」にとっては、不安が大きかったり、落ち着かないことの多い季節かもしれません。

でも、知らないこと、見慣れないこと、はじめて出合うことだからこそ、そこには自分の思いもよらなかった楽しみがあるかもしれない。潜在的に求めていたものがあるかもしれない。

だから、知らないことに出合ったときに、まずは面白がってみたらどうかな?
「わっ、何それ?はじめて!すごーい。もっとよく見たーい!」
って思えた方が、人生楽しいんじゃないかな、と思っています。

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