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「自分の人生を生きる」大人たちへ エールを

年若い友達が、今月から留学すると言う。

いいね。すてきだな。

海外だからすてきだと言いたいのではなく、新しい世界へ踏み出すこと、自分の世界を、自分で広げようとすることが、何よりすてきだなぁと思う。

そう言えば、私自身にとっても、「私、大人になったな」と認識したのは、自分の世界が広がった時だった。

「世帯主」になった

私は、高校の3年間、学校の寮で生活をした。色々な偶然と、希望と、かなわなかった希望とが重なって、自分で出した進路の答え。「寮生活をさせてほしい」と両親に頼み、実現した。
16歳の4月、市役所で住民票を移す手続きをして、私は「世帯主」になった。

「世帯主」は面白かったけれど、だからって大人になったと思った訳ではない。

寮生活が始まった

寮生活は思っていたほど生易しくはなかった。寮生は、中2から高3まで25人程度。共同生活の中でお互いが不快な気持ちにならないように、想像以上にルールとお作法が厳しかった。先輩も厳しかった。部屋は3人部屋。お風呂も共同。学校生活と寮生活と、新しいことが一気に始まったのに、自分の安全地帯はない。

やれやれ、えらい決断をしたぞ、と思った。

・・・いや、うそだ。そんな風に自分を客観視する余裕は、たぶん、なかった。

最初のゴールデンウィーク

入学から1か月経ち、その年のゴールデンウィークは曜日の並びが良く、5連休になった。同じタイミングで寮に入った同級生は、ほとんどが遠方の両親の家や、親戚の家に帰った。

でも、私は5日間、寮で過ごした。このタイミングで家に帰ってしまったら、ここまで張りつめてきたものが緩んでしまって、もう1度張り直すことは到底無理だろうという気がした。

親戚の家には日帰りで行き、中学生時代の先生に会ったり、海まで散歩したりした。高3の先輩たちが数人、やっぱり寮に残っていた。人数が少ない寮は、いつもよりのんびりしていて、先輩も優しくて、何とかやっていけそうな気がした。

まだまだ「大人」にはほど遠い。

部活は ハードだった

さて。私は、落ちこぼれテニス部員だった。高校に入るまでも、テニススクールに通っていたので、テニス部に入ることは、ちょっとした憧れでもあり、迷うことなく、真っすぐに入部した。

ただ、テニススクールに通っていた、と言っても、習い始めた頃は、ボールが通り過ぎてから慌ててラケットを振るくらい・・・何と言うか、テニスをする、というスタート地点に立つまでに、何年もかかるくらいのセンスのなさだった。そして、入学するまで知らなかったが、私の学校は、かなりの強豪校だったのだ。私は高校からの編入だが、中学の硬式テニス部は、全国大会出場の実績もあった。

実力が違いすぎる。

別の部活に変われば良かったのかもしれない。でも、その頃は、やめる、という選択肢も思いつかなくて、ただただ、週5日の練習に、必死に出席した。(もしかしたら、そういう発想が昭和なんだよ、と笑われちゃうかもしれないけどね。)1カ月半くらいで、膝が痛くなって、「急に動かして膝の関節がちょっと炎症を起こしているから、少し休んで、痛みが治まってからゆっくり再開したらいいよ」と言われた。

はて。週5日分、ぽっかり空いた。

外の世界に電話をかける

その頃、同じように高校から編入した同級生から「ボランティアセンターに登録をしてみた」という話を聞いた。

へぇ! 高校生って、そういうこともできるんだね、と、思いもよらなかったことを教えてもらった気持ちだった。そして、とても魅力的な何かのように思えた。

寮でも、部活でも、クラスでも、どんな風に振舞ったらいいのかが分からず、所在ない気持ちを抱えていたと思う。それでいて、寮と学校の往復は、学校の敷地から1歩も出ることがなく、外に目を向けるチャンスが少なかったのも確かだった。

住民票を移した時にもらった「市内べんり帳」みたいな冊子のページをめくり、ボランティアセンターに電話をした。

びっくりするほど簡単だった。

数日のうちに、ボランティアセンターに行き、高校生でもできる活動を紹介してもらった。
そしてその週末から、毎月第1/3土曜日は、おもちゃライブラリーの活動に、第2/4土曜日は、授産所の絵画クラブのお手伝いに、通うようになった。

幸い、テニス部の土曜日の練習時間は午前中だった。膝の痛みがなくなり、部活に復帰してからも、ボランティアは毎週通った。高校卒業まで。

自分の世界を1歩広げた

今になって振り返れば、私が「大人になった」のは、この、電話をかけた瞬間だと思う。自分のチカラで、自分の住む世界を1歩広げたのが、この時だった。

結論から言えば、この時に紹介してもらった活動で子どもたちと出会ったことが、今の私の仕事にもつながっている訳だけれど、そんなことは大事ではない。

自分の住む世界は、自分で広げて、変えていくことができる、という実感を得られたのが、この1本の電話だった。

もし、ここでちょうどいい活動を紹介してもらわなかったとしても、私にとっては、「自分が行動を起こせば、外の世界と繋がる手段がある」と知っただけで、充分に価値のある体験だったと思う。

その後も、ずっと、興味のあることに対して、自分から1歩を踏み出せば何かに繋がると思って、行動を続けてきた。その1歩のおかげで、沢山の人に出会い、その人たちに助けられながら、今に至る。
とりわけ、今、個人事業主として働いている私にとって、「あっ!」と思ったものにアプローチができる体質は、間違いなく大きな強みになっている。

大人になる、ということ

大人になるということは何か。

それは年齢ではなく、立場でもなく、心ひとつだと思う。

それは、自分の人生の主導権は自分にある、ということを自覚し、その自覚を持って行動すること。

私のかけた1本の電話は、自分が生かされる場所を、自分でつかみ取ろうとした、大きな1歩だった。あの時私は、自分の人生の主導権を手繰り寄せ、「大人になった」んだと思う。

あの頃は、学生が、学校以外の世界の情報を知る機会も、繋がる方法も限られていたけれど、今はそのきっかけは、ぐーーーっと増えた。

学校に自分が生かされる場所があればそれもいい。部活でもいい。
学校の中にも外にも、自分が生かされる場所を作るのもいい。
学校の外に、自分の世界を広げてもいい。

自分をどうやって生かすのかは、自分で決めていい。そして、決めたように行動していい。途中でやめたっていいし、やり直したっていい。

*      *      *

私の年若い友達は、まさに「大人」として、自分の人生の主導権を持って、外の世界へと歩んでいくのだろう。そこでの毎日が、楽しくても苦しくても、自分の人生のかけがえのない時間になるに違いない。

心からのエールを。

そして、全ての「自分の人生を生きる」大人たちにも、心からのエールを。

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