日本の子どもって 結構いろんなことが できるんだよね

息子が1年間通っていたボストンの小学校では、水曜日は全校集会の日でした。
全校集会と言っても、日本の小学校のような、校長先生の訓示を聴くための場ではありません。全校生徒が体育館に集まって、ちょっとしたレクリエーションとかゲームがあるような、お楽しみ集会みたいなものでした。地下にある体育館は1階の廊下から見下ろせる場所にあり、保護者も様子を見ることができました。

ある時「JumpRope大会」があったのです。各クラスから2名ずつ選ばれた
代表の生徒が、みんなの前で縄跳びを披露する会でした。

まず代表に選ばれた子どもの日本人率の高さに驚きました。そして、一斉に縄跳びを始めると、思った以上におぼつかない感じの跳び方の子が多く、あれ?と思って観ていたのです。
その中で、一際目立っていた男の子がいました。あやとびや、二重跳びなどの連続技を決めて、最後にはみんなから拍手喝采。日本人の男の子でした。この日一番のヒーローとなり、みんなから「すごい」「すごい」と称賛の嵐です。確かに縄跳び名人でした。ただ、日本の学校にいれば、各学年に2人か3人くらいはいそうなくらいの名人っぷりだよなぁ、とは思ったんです。

「標準的にできることは何か(=何ができることが当たり前か)」という感覚が国によって随分違うんじゃないかと気づいたのは、この時です。

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例えば、日本では、多くの小学生が折り紙でツルを折ることができると思います。(もちろん全員ではありません。得意不得意はあって当然。)でも、国や地域によっては、小学生になっても紙の端と端を合わせて折ることを難しく感じる人の方が多いという場合もあります。能力の優劣ではなく、経験してきたかどうかの違いですよね。
海外に行くと「折り紙を教えて」と言われる場面は多いですが、だいたい、最初にサンカクを折るところが、既に難しい。「何ができることが当たり前か」が違うのは、文化や経験の違いと関わっているのでしょうね。

そう言えば、ボストンの小中学校にはプールがありませんでした。夏休み中に開催していたサマースクールでは、プールに入るために、みんなでスクールバスに乗って、市内の高校まで行っていました。
息子もバタ足で前に少し進める程度の泳力でしたが、周りの子たちは、もっと泳げなかったそうです。みんな長ーいスチロールの棒みたいなものにつかまって、ぷかぷか浮いているだけだったよ、と。

そうか、日本みたいに、どの小学校にもプールがあり、授業で水泳指導をしてくれるって、ものすごく恵まれていることなんだと、気づきました。「何ができることが当たり前か」の違いは、ここにもありました。

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このサマースクールは2週間ごとに1タームになっていて、そのタームの終わりに発表会がありました。6つくらいのグループに分かれていて、グループごとにダンスを発表します。
どのグループも構成はだいたい同じで、最初は曲に合わせて全員が同じ振り付けで踊り、中間部では、1人ずつみんなの前に出てきてアドリブを披露、最後にまた全員で踊る、というものです。

「全員が同じ振り付けで踊る」姿を見て、あぁ、なるほどなぁ、と妙に感心してしまいました。私が今まで日本で観てきた、保育園や幼稚園、小学校の子どもたちが、あんなにも揃えて踊ることができるって、ある種、特別なことなんだな、と改めて気づいたのです。この日の子どもたちは、同じ振りのダンスを踊っているのだけれど、誰も揃っていないし、何より揃えるという意識すらない。

そして中間部。ブレイクダンスで目にするような情景です。子どもたちは半円になって拍子を取り、踊りたい人は前に出てきて、中央でアドリブで踊ります。小学校1年生なので、真ん中で棒立ちのままコマのようにぐるぐる回るだけだったり、手を上下にひらひらさせていたり、カニみたいに横歩きをしていたり、というようなダンスです。スペシャルな技が飛び出す訳でもない。それでも、子どもたちは、自分から進んで前に出てきては、その、そんなにカッコよくはないダンスを堂々と踊って、半円の中に戻っていくのです。

「すごい」とか「できる」とか「スペシャルな技を持っている」ということが、中央に出る条件ではない。みんなの前で踊りたい人なら、誰が踊ってもいい、そういう感覚が、自然と浸透していました。

みんなで揃えて踊ること。たった1人でオリジナルのダンスを踊ること。どちらが優れている、という訳ではなくて、やっぱり「当たりまえにできること」の感覚が違うだけだと思うんです。

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日本の保育園や幼稚園、小学校って、本当に色々なことを指導してくれます。
例えば、小学校で1年間を過ごし、2年生に進級する頃には、多くのことができるようになっています。真っすぐに並ぶ・曲に合わせて体操をする・プールの経験・なわとび・てつぼう・鍵盤楽器の演奏・折り紙の端と端を合わせて折る・植物の栽培・1人で学校に行ける・・・。
そういう「当たり前」だと思っていることって、ちっとも当たり前じゃない。日本の子どもたち、ってすごいんですよ。

私は、海外と日本の子どもの育ち方を比べて、どっちがいいとか悪いとか、日本はもっと、ドコドコの国を見習うべきだ、とかいう話をするのは好きではありません。それぞれの文化や価値観を元に、長い時間をかけて培われてきたという前提がまず大切で。その上で、参考になるところがあれば、取り入れてもいいよね、と思っています。
だから、日本の教育スバラシイ、と言いたい訳でもないし、こんなにもあれもこれもやらせる必要なんてない、と非難したい訳でもない。

ただただ客観的な事実として、「日本の子どもたちは、こんなにも色んなことができるんだね」とびっくりしているんです。

大人たちは、自分も「色んなことができる」ことを当たり前のように育ってきたから、お子さんが何か苦手なことがあると、すごく不安になって、「ここができないから、もっと伸ばさないと」って考えるかもしれません。
でも、大丈夫。そもそもが、驚くほど、色々なことをやっているんです。
だから、与えられた課題の中に苦手なことがあっても、そんなに気に病まないでいいんじゃないかな。(むしろ、苦手なことは、ここで出合わないと、きっとこの先ずっと経験しようなんて考えないだろうから、色々な世界を知る機会があったね、って思っておけばいい。)
日本以外の環境を垣間見て、子どもたち、充分すごいんよ!もっと気楽で大丈夫だよ! と、強く強く思うのでした。

全てのことを完璧にこなそう、って考えるのではなく、色々なことに出合うチャンスがあってラッキー、っていうくらいの気持ちで、気軽にいきましょう。

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