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大量のモノに価値を感じるのは もう 昔の話かもしれない

何かモノを買ってもらうためには「そのモノが必要だと感じさせる」ことが肝になる訳ですよね。
例えば、「小学生になるから、ランドセルが必要」って、みんなに感じさせることに成功したから、毎年ランドセルが売れる。冷静に考えたら、ランドセルじゃなくて、もっと軽いリュックでもいいかもしれないんですけどね。

同様に「小学生になるから、自分の勉強机が必要」という風潮もありました。机の正面にパネルがあって、なんか色々収納できるスペースのある机を「学習机」と名付けて売っていましたよね。今は、「リビング学習が良い」という流行もあって、以前ほど「学習机」は見かけなくなりました。

最近感じるのは「無理やり必要性を作ろうとする商品や広告」が多い、ということです。今まではそのモノがなくても問題なかったはずなのに、「この商品を使わないと損する」みたいな言い方で、必要性を感じさせようとしている。「新しい調理器具で料理の負担から解放される」とか「最近の研究結果によれば、本当に身体にいいのは、●●ではなく▲▲です」とか。
別にそれまでも、大して困っていなかったのにね。

今の子どもたちが使っている歴史の教科書には、〈三種の神器(電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ)〉や、〈3C(クーラー・車・カラーテレビ)〉が載っています。(もう歴史なんですね。)三種の神器や3Cの時代は、本当にその商品を買うことで、便利になったんだと思うんですよ。暮らしの質を変えた家電たちでした。

でも今は、一般的には、足りないモノを探す方が難しいくらいかもしれません。「欲しいモノ」だって、そんなには・・・ない。(もちろん、これは私だけかもしれませんが。)

モノを作れば作るだけ売れて、経済がどんどん回っていった、という時代は、もう終わっているんですよね。私たちは、生活に必要なものはだいたい揃い、人によっては本当に欲しいモノなんてない。豊かさを象徴するために、モノの多さを誇る必要はなくなりました。
新しいものを作れば売れて、その利益でまた次の新しいものを作れば、新しいものに買い替えてくれて・・・と繰り返すモデルから、発想を切り替えた方がいいよね、と常々思っていたのです。

ですが、そこに、全く別軸の、新しいプレイヤーが加わりました。
アフィリエイトです。

私もアフィリエイトサイトに登録しています。自分のWEBページで本の紹介をするときに、本の表紙の写真を載せたかったからです。だから、稼ごう、なんて1ミリも思わず、せっせと絵本の表紙画像を貼り付けていました。
ただ、そうであっても、クリック数や結果のレポートが見られると、つい、意識してしまうのです。1人でもクリックしてくれたら有難いし、たとえ1冊売れて手元に入るのが数円だったとしても、売れれば何となく嬉しい。

収入を得ることが目的じゃなくても、気になるのです。もっと本格的にアフィリエイトのライターになっている人は、買ってもらうために、ありとあらゆるワザを使うことでしょう。実際、「ユーザー目線で商品サービス/を評価している」という建付けの記事なのに、どの商品のことも、やたら褒めている記事をよく見かけるようになりました。個々の商品に限らず、その商品ジャンルについては「手に入れることが前提」みたいな書きぶりです。買わないと損する、とか、生活が劇的に変わる、のような文章で、購入を促すんですよね。
売り上げの数%が自分の懐に入る、という理由で、勝手に広報宣伝をしている人がいるんですね。そして、「買わせよう」と煽っている。
なんか、本質じゃないな、という気がしてしまいます。

モノが増えすぎだと思うんです。
自分の手が届き、何があるのかを把握して、丁寧に使っているモノはもちろん必要なモノです。でも、自分でも把握できないくらいの量の、あんまり沢山のモノを持っていても仕方がない。モノの多さは、もう豊かさの象徴にはならないんですよね。

だから、モノとの向き合い方、アップデートした方がいいんですよね。どんどん生産して、それを売るために「必要性」を新たに作り上げて、そのたびにモノが売れることを想定する。もう、そういう経済モデルじゃない。それよりも、自分の好きな「コト」のために、お金や時間を使い、目に見えるモノではないところに価値を見出す人が増えていると思うし、そういう前提で、これからの在り方を考えた方がいいのかな、と思うんです。

自分にとっての「必要性」は自分で決める。
それって、かっこいいですよね。

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