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ハズレ、という贅沢

本を1冊読んで、何か1つのフレーズでも心に残ったのなら、その本は、読んだ価値がある、と言われたことがある。
本を読む時間が充分にある時期だった。

図書館で本を借りる。興味を惹くタイトルの本を、端から借りてみる。
文章との相性が良くない場合もある。自分の期待と違うこともある。本の良し悪しの話ではない。私の気持ちが、その本を受け入れるのにReadyの状態かどうか、というだけのこと。(もちろん、一生待ってもReadyにならない本もあるだろう。それはそれで、いいのだ。出合いなんて、そんなものだから。)

最初から「この本に出合うべくして出合ったんだ」とか、「あぁ読んだ甲斐があった」という本に出合えるとは限らない。何冊も何冊も「今の自分にとって必要ではなかった」という本を読むからこそ、いい本の良さも分かる。

読みやすかったり、面白かったりして、すいすい読むけれど、特に何も残らない本もある。文章と相性が合わなくて、読み進めるのがしんどいけれど、そのしんどさの先に、はっと1つ、心に残る言葉に出合えることもある。

本で出合った言葉は、その〈いい言葉〉だけを詰め合わせて「はい、どうぞ」と提示されても、たぶん、ピンとこないんだと思う。そこに至るまでの、無駄にも思える描写とか、心の動きとか、そういうものを経るから、響くものがある。

「自分には合わない」「今はそんな気分じゃない」「面白さが分からない」・・・という、まぁ、乱暴に言ってしまえば〈ハズレ〉なものにも充分に触れるから、良いものの良さを実感できる。

昨今は、そういう〈ハズレ〉になるべく出合わないようにする人が多いらしい。映画は事前にあらすじや評判を知っておき、自分が楽しめるか確認してから行くとか。本や漫画もサイトでの評価が高いものを選ぶとか。旅行だって、事前に行く場所をじっくり調べて何をするかを決めて、想定通りに楽しむとか。

1つも無駄な思いをしてはいけない、という人生のゲームをプレイしているみたい。

そんなゲームに参加しないで、時には〈ハズレ〉を引くことが分かっていても、効率の良さではなく、自分の感性を大事にできる在り方って、ものすごく贅沢なことかもしれない。

ハズレが引ける贅沢。
それくらいの心の余裕を持って、生きていくのはいいな、などと思う。



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