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今は必要だけれど いつか不必要になってほしいもの

キッザニアが開業した頃、社員の中には「いつかキッザニアが必要なくなればいいと思う」と意味のことを言う人もいた。

いわく・・・
少し前の時代の子どもたちは、仕事の現場を見る機会が多かったし、家業を手伝うこともあった。子どもの生活の近くに「仕事」があったから、キッザニアのような場所がなくても、働く、ということを身近に感じることができていた。でも最近は、仕事の場と生活の場が別になることが増え、子どもたちにとって「仕事」を実感する場が減ってきた。だから、キッザニアという場が必要とされている。でも本来は、社会の中で、子どもたちが「仕事」に触れる機会がもっと増えて、将来的にはキッザニアなんて場所がなくなるような社会になればいいと願っている。

そんな風に語っていた。「必要悪」というニュアンスが近いかもしれない。(なにも悪いことをしている訳ではないが。)
ちなみに、創業から17年半になるけれど、まだキッザニアの役目は終わっていないようだ。

キッザニアの話は一例だけれど、「今は必要だけれど、本来は不要になればいいもの」って、世の中を変える時に必要な考え方なんじゃないかな、と思う。
例えば、電車の「優先座席」。「優先座席」という存在のおかげで座りやすくなった人もいるだろうし、啓蒙的な役割も果たしているのだと思う。一方で、理想的なのは、「優先座席」という特別な座席がなくとも、必要な人が座って乗車できることだろう。その理想の状態を実現するために、乗車率がいつでも80%未満になるように電車の運行本数を増やそう、とか、必要な人に席を譲れるように厳格なルールを設けよう・・・なんてことを言いだしても、たぶん、実現はできない。
一気に理想を目指すのではなく、「理想ではないけれど、今、困っている人にとって少しでも状況が改善するような仮の対策を取る」ことはとても必要。そうじゃなくちゃ、いつまでも状況は変わらないから。

ただ、「仮の対策」が定着すると、それが「仮」であることを忘れて、もう問題は解決したかのように勘違いしてしまう、という懸念はある。「仮の対策」は、「目の前のことをひとまず何とかする」という対処療法的なものなので、根本的には変わっていない。それでも、目の前の状況が「困っている」から「何とかなっている」に変わったことで、安心してしまうことって、多いと思う。

特に、子どもや子育てを取り巻く課題には、そういう「仮の対策」で乗り切っているものが多いと感じる。個々人が当事者でいる時間が短くて、どんどん困りごとが移っていくから、1つ1つの困りごとの根本的な解決を探っている時間が足りないという現状もあるだろう。

もうすぐ新学期が始まる。今までお子さんが保育園に通っていた多くのご家庭では、学童の開所時間問題に直面するかもしれない。「学童の時間がもっと延長されたらいいのに」「民間学童の費用補助があればいいのに」などと願う人もいるだろう。いるだろうけれど、それはやっぱり「仮の解決」なんじゃないか。

目の前に迫った困りごとの解決のために、「子どもたちが過ごす場所と預かってもらえる時間」を増やして欲しいと思うのは当然のこと。でも、根本的な解決は、「働きかた(働く時間や場所)の選択肢が増えること」ではないのかな?ここ数年、在宅で働く人が増えてきて、変えようと思えば変えられることも分かってきたのだし。

今、目の前の困りごとを解消するように、様々な取り組みをされている事業や団体は本当に素晴らしいと思う。ただ、それで安心するのではなくて、「もしかしたら、もっと目指せる理想があるのかもしれない」と思うことも大切なんじゃないかな。
そんな風に、現実的な方法の実現と、理想の在り方の確認とを交互に繰り返すことで、少しでも良い方向に向かうことができるのだと、信じている。

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