001_Sleepy John Estes (1974)
◆菅原光博さんの写真と共にふり返る日本のブルース!
新たなシリーズをスタートさせます!
カメラマン菅原光博さんが、1970~80年にかけて撮影したブルースの写真をnoteでご紹介していきます。
当初ジャズを撮りたくてカメラマンになった菅原さんですが、その後ブルース、ソウル、レゲエ、アフリカン・ミュージックなどさまざまなライブ・ミュージックを撮影してきました。
私は菅原さんの写真をスライドに収めたスライド&トークショーを行ったこともあるほか、『来日ブルースマン全記録』(ブルースインターアクションズ)制作の際に貴重な写真を提供いただきました。
カメラマンがレンズを通して間近に感じたブルースマンたち。その写真を紹介とともに、日本のライブをふり返ります。ソウル、レゲエ、アフリカなどの写真も追って・・・。
初回は、“あの”スリーピー・ジョン・エスティスから。ニューミュージックマガジン編集長でもあった中村とうよう氏の主催により、「第1回ブルースフェスティバル」が開催されたのは、1974年11月のことです。当時、ブルースを聴かないなんて人間じゃないと誰かが言ったとか言わないとか。そんな噂もあるほど、若者たちの関心はブルースに向かっていました。
◆Rats In My Kitchen スリーピー・ジョン・エスティスの衝撃
当時、コンサートに足を運んだ人から聞くのが
足どりもおぼつかないように見えるのに、いざ歌い出してみれば、ハリのある声に驚いたということ。
当時75歳ぐらい。今70歳の皆さんはまだまだ溌剌としていますが、ものすごい“おじいちゃん”という感じです。20~30代のお客さんからすれば、尚更、老人がすごい歌を歌うというイメージだったかもしれません。
しかもスリーピーは盲目でした。
この人は初レコーディングが1929年という大ベテランですが、第二次大戦後は行方知れずになっていました。そこでブルースの愛好家が居場所を探し始めます。
ここまではよくある話ですが、1962年、ようやく探し当てた場所は電気も水道もない掘立て小屋。喰うや喰わずの生活の中で、両目の視力も失っていました。
早速『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』というアルバムが録音されますが、その1曲目が「Rats In My Kitchen」。残り少ない食料をネズミに奪われるというブルースです。
以前もどこかで書きましたが、わたしはこのアルバムを紹介する雑誌の記事で「赤貧」という言葉を初めて耳にしました。黒人の辛さが、差別が、と頭の中で分かったつもりになっていたことが目の前に現実となって放り投げられたような衝撃でした。
一方で、大事な食べ物を奪っていくネズミの背中を思うと(スリーピーは目が見えないので気配で察するのか、それとも家族に言われて気づいたのか?)情けなさも極まって滑稽にも思えてきます。この乾きこそ、いつも叶わないなぁと感じてしまうブルースの詩的うまさです。
◆あるものを使え
『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』では、皆をざわつかせたことがもう一つあります。ジャケット写真のカポタストが“鉛筆”だったのです。
えんぴつカポ。
貧しさも極まれりではありますが、やはり何とも言えない逞しさを感じます。
あるものを使え。――もちろんスリーピーは好き好んで鉛筆をカポ代わりにしたわけではないでしょう。しかし、たとえば板に針金を張っただけでギター代わりにしたり、タライや洗濯板を楽器にしてしまうエネルギー。ブルースやジャグ・バンドのそんな発想に痺れるのです。
◆指先に引き寄せられて
カメラマンの菅原さんは、スリーピーの手にぐぐぐっと引き寄せられたそうですが、おそらくこんな手で奏でるギターは初めてだったのでしょう。
弦を押さえる細く長い指。ところどころ曲がった関節が風雪の日々を物語ります。潤いの少なくなった肌と皺。爪は切りそろえてあるようにも見えますが、小指の爪は長すぎるようにも思えます。
貧しさや苦しさのリアリズムに焦点をあてすぎると、ブルースのイメージが固定してしまう面もあるでしょう。当時もそうだったかもしれません。
でも、それを差し引いてもスリーピー・ジョン・エスティスの姿と歌は「ブルースはどこから生まれてくるのか」そして「なぜ私はブルースに惹かれるのか」という永遠のテーマについて考えさせくれます。
Mitsuhiro Sugawara Talk: 1974年12月に待望の第一回ブルース・フェスティバルがあった!
その時に米国からはるばるやって来たのが、生息不明だった伝説のブルースシンガーのスリーピー・ジョン・エステスだった。
楽屋ではまるで寝ている様におとなしかったが、ステージで歌い出すとそのしわがれた歌声から聴こえてきた紛れもない本物のブルース!が衝撃だった!
スリーピーを正面から撮ったポートレートには、貧困の中を散々苦労しながら生きながらえたてきた、したたかな生命力とそのブルース魂を観た!
この時から、ブルース・ミュージシャンを撮る!決心した!
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