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永遠はないけど、それに近いものはあるかもしれない。

2022年5月14日の夜、普段は鳴らない私のスマホに珍しく着信があった。「どしたー?」
私はジップロックにバナナと砂糖と牛乳を入れてひたすらに潰している最中だった。電話は母からだ。

「あのね」

いつになく沈んだ声で話し始める母、電話口の後ろでギャン泣きしている妹の声。なにがあったのか、なんとなく察した。

「おばあちゃん、今、いったよ。」


大正13年生まれの97歳。私が生まれた時からすでにおばあちゃんはおばあちゃんだった。小さい頃から一緒にいて、いつも孫たちを気にかけて、なんでも1人でやってしまう、パワフルなおばあちゃん。

母と父に両手を握られ、マッサージされると「あ〜楽だ〜楽だ〜。気持ちいい。」と呟いた。それがおばあちゃんの最期の言葉になった。

身内の介護は一筋縄ではいかない。元気だった頃を知っているからこそ、そうであってほしいと願えば願うほど、現実との違いに心を傷めることもある。優しくできない日も辛くあたってしまう日もあっただろう。おばあちゃんがボケて、母にお金を盗られた、と騒いでしまうこともあった。きっと私の知らない苦労も数え切れないほどあっただろう。自分を責めてしまうこともあっただろう。それでも母も父もおばあちゃんも頑張った。

おばあちゃんの最期の言葉は、そんな母と父を安心させるものだった。しっかり者のおばあちゃんらしい、と思った。


次の日の朝一番の高速バスで実家にいくと、おばあちゃんは真っ白でテカテカした綺麗な布にくるまって、いつものポジションに寝ていた。顔にかかっている布をめくるといつものおばあちゃんがそこにいて、涙が出てきそうだったが、妹の前で泣くまいとぐっと堪えた。

妹がそわそわと何度も顔の布をめくってはかけてを繰り返すせいで、猫の毛がおばあちゃんの顔にくっついていた。いつもおばあちゃんと一緒に寝ていた猫は、おばあちゃんの匂いを嗅いでは首をかしげていた。亡くなったことを理解出来ていないのかもしれないな、と思った。父は諸手続きに奔走し、母は疲れた顔をしていた。

悲しいことがあった時は甘いものを食べる、をモットーとしている私は東京駅でお土産にモンブランを買ってきていた。おばあちゃんが1番好きなケーキだ。

普通より少し大きめのモンブランをみんなで切り分けて食べた。おばあちゃんにも分けた。甘くて優しい栗の味にまた少し泣きそうになった。
母はモンブランを食べながら、美味しい美味しいと繰り返し「こんなに美味しいの、おばあちゃんに食べさせてあげたかった」と呟いた。
なんて声をかけようか一瞬悩んだ私は「おばあちゃんも食べてるよ」と言った。母は「そうだね」と言って、2切れ目のモンブランに手を伸ばした。

おばあちゃんの側で思い出話しをし、テレビを見て、アルバムを眺めていると、葬儀屋さんがおばあちゃんを迎えにきた。

葬儀屋のお兄さんは礼儀正しく一礼すると父と協力しておばあちゃんを車に運んでゆく。ちょうどテレビで競馬のファンファーレが鳴る。そんな丁度いいことある?と、思わず「出走だ...」と口走ってしまった私に、難しい顔をしていた母と父が「おばあの出走だな」と言って笑った。葬儀屋のお兄さんはよく笑わずにいられたな、と思う。

身内の看護師さんがおばあちゃんの最期について、こんなに安らかに終われるなんてすごいよ、と言ってくれた。私もこんな最期を迎えたい。母と父にもこんな最期を迎えさせてあげたい。願わくば、この世に生きている全ての人の最期の時が、おばあちゃんのように静かで安らかなものであって欲しいと心から思う、そんな最期だった。

そして今日おばあちゃんは灰になった。もう二度と会えない。触れることも会話することも出来ない。けど、思い出しておばあちゃんの話をすることはできる。生前に母が録画していたビデオメッセージには「お前らがみんな元気ならなんでもいいよ。」と言って笑うおばあちゃんが映っていた。


家に帰って変色したバナナジュースを飲んでいたら、なんでか、生きていかなくちゃな、という気持ちになった。人生思い通りにはいかない。馬券は外れるし、バナナジュースは変な色になるし。

でも、思い通りにいかなくて、永遠じゃなくて、終わりがあって、悲しくて、辛くて、だからこそ、愛しくて、楽しくて、嬉しくて、今を大切にしようと思えるのだな、と、そう思いました。


でも、

やっぱり、悲しいなぁ。

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